お守りを受ける(購入する)のは本人じゃなきゃダメ?
人からもらったりあげたりしてはいけないの?
こんな心配をされる方が多いようですが。
これはいただく側の方の考え方ひとつでしょう。
本人が受けたものでなければ意味がないと考える方はもらうこともあげることもダメなのでしょう。
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お守りってそもそも何でしょう?
お守りは神様仏様に祈願して、そのお札を携帯できるように小さな入れ物に収めたものです。
祈願するのは神社なら神主さん、お寺ならお坊さんですが、祈願するときは神様や仏様にお供え物ををして、神主さんは祝詞(のりと)をあげ、お坊さんはお経(おきょう)をあげます。
祈願した内容の文字や絵、印をお札に記し、お守りの入れ物(袋など)に入れます。
例えば七五三や特別な祈願を個別にお願いすると、神社なら幣帛料、お寺ならお布施をおさめ、祈願したお札をいただきますが、これを個別でなく広く一般の人に、携帯タイプにしたものを ”お守り” といって誰でもが受けられるように提供している、と思えば良いかと思います。
家内安全とか安産とか、合格とか、恋愛成就など、一般の人々が祈願したい内容ごとになっていますよね。
売ったり買ったりではない、商売ではないのです、本来は。
それ(お守りやお札)を受けるのに、幣帛料やお布施といった意味合いで謝礼をお納めする、というものですので、”購入する” というのとは意味合いが違います。
”支払う” のでなく、”謝礼をお納めする” のです。
が、お金と引き換えにお守りをいただくし、”販売所” となっていたりすれば、”売っているところ” で ”買う” と普通は言ってしまいますよね。

お守りを「買う」?
行為は ”売る・買う” のにそっくりですが、お金の本来の意味合いは代金ではなく 祈願していただいた謝礼ですので 幣帛料やお布施にあたります。
神社では ”初穂料(はつほりょう)” としているところもあります。
(初穂は神様に捧げる農作物からその呼び名がきています)
ところで、神道では、まだ貨幣で物のやり取りをするようになる前、大変貴重だった布(幣帛・へいはく)や酒・収穫物などの神饌(しんせん)をお供えしていたのですが、それが次第に貨幣に変わり、”幣帛料”、”神饌料” となりました。
お寺も同様にお釈迦様・仏様にお供えする物や、読経や戒名をいただく謝礼が ”物” だけでなく金品を渡すようになるとこれも ”お布施(おふせ)” というようになりました。
貨幣が流通するようになると、神社もお寺も貨幣で幣帛料やお布施をいただかないことには神社やお寺の運営が出来ません。
そういうわけですから本来は幣帛料やお布施の金額の多寡は、お納めする側の出来る範囲であり、神社やお寺が決めるものではないのですが、現代ではその相場がわからない人が多かったり、要らぬトラブルを招かないように ”料金表” が提示される場合もあります。
お守りも、たくさんの方が求めるものですから ”料金” の設定がしてあるほうが便利、ということですよね。
さらに、神社やお寺もお守りをネット通販していたりします。
こうなると 販売 であり、購入であり、支払う といった表現になるのも自然なこと、時代の流れではあります。
でも、本来は商売ではない、ということを覚えておきたいものです。
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心が込められていてこそのお守り、人にあげても良いのでは?
以上のように、神社やお寺で心を込めて祈願していただいた”お札”を、祈願したい本人が受けた(購入した)ものでなければダメとするのか、代わりに受けて(購入して)来ていただいても良いのか、は、”最終的に受ける人” がどう思うか、ではないかと思うのです。
誰かに買ってきて(受けてきて)と頼むのなら良いのか、
祈る心を込めて買ってきた(受けてきた)お守りだったら突然いただいても嬉しいと思うのか、自分が直接行っていないもの、頼んだ覚えのないものは一切イヤなのか。
そうなると ”通販” はどうなんでしょうね?
先ほど書いたように、今の時代、どんなものも通販ナシには考えられませんし、お札やお守りをお収めする(お返しする)のも郵送や宅配便を受け付けていただけます。
それも本人が申し込めばOKで、どなたかにしていただいたらNGなんでしょうか?
昔々ならいざ知らず、現代にあってはいただく側、お守りを持つ人のお守りに対する考え方、信仰、信念などによると思うので、正解はないと思うのですが。
私などはお守りをいただいたら嬉しいと思うほうなんですが。
私のことを気にかけてくれて、一生懸命祈ってくれていると思うと、その心に感謝してありがたくいただきたいと思うほうです。
もっとも、できればお近づきになりたくない人、キライな人でしたらいただきたくないし、怨念を込めたのか?なーんて疑ったりもするかも!ですが、それでもご厚意には感謝して丁寧にお断りするようにしたいと思います。
ですから、正解はないので、押し付けてもいけませんよね。
差し上げるときはもらっていただけるかどうか、率直にお伺いしてからのほうが良いのでしょうね。
もし、きちんと当人が受けたものでなければダメだとしたら、手作りも自分でしなきゃダメ、なんでしょうか?

手作りのお守り、カワイイ!
一生懸命念じて、愛情込めて作ってくれた手作りのお守りにはその人の真心が封印されているのですよね。
だからこそ、関係の遠い人からいただいたら重すぎてお断りすることはあるのだと思います。
ですが身内や恋人からいただいたら、どんな神様より仏様よりありがたいお守りになりそうです。
お守りには、神社ならその神社に祀られている神様の、お寺ならお釈迦様やそのお弟子の仏様の、手作りならその作り手の魂が宿っています。
例えば誰かが、ご利益があったからあなたにも、と言って私に下さるなら、私のことを案じて下さるそのお気持ちを嬉しく思い、神様仏様に感謝し、ありがたくいただきたいと、私はきっと思うことでしょう。
お守りは複数あっても喧嘩はしません。
お守りを複数持っても神様は喧嘩しないけど、持ち方に注意です。 にも書いています。
神様や仏様の存在を信じる信じないはさておき、私を見守り、応援して下さる ”祈り” が詰まってる。
お守りって、そんなものではないかと思いたいのです。
あなたはどう思いますか?
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