尊厳死と安楽死の違いと日本の現状。リビングウィルは自分らしく逝くために。

青空
青空

尊厳死と安楽死は似ているけど違います。
また、自殺や自殺幇助とも違います。

尊厳死は、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死、です。

スポンサーリンク

尊厳死と安楽死はどこが違うの?

最近、超高齢化社会らしく? 長寿と言われるお年頃の方の著書が人気です。

2017年のベストセラー・ランキング第1位は94歳の作家・佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』(小学館)でした。

直近で話題なのは橋田壽賀子さんの『安楽死で死なせて下さい』(文藝春秋 ・2017年8月18日出版)でしょうか。
橋田壽賀子さんは92歳、「渡る世間は鬼ばかり」や「おしん」など数々の有名ドラマの脚本を書いた人です。
(私は確かリバイバルで観ましたが「愛と死をみつめて」も橋田壽賀子さんなんですね。)

評論家でエッセイストの松原惇子さんは71歳。
『長生き地獄』で、延命治療や在宅医療、老人ホームなど、長生きの実状をつぶさに取材して、これからの死に方と生き方を考えます。

偉大なお姉さま方は皆、どう生きて、どう死んでゆくのかを考えています。

人は誰でも、いつかは死にます。

死ぬ時まで生きるのです。

これはすべての人に平等です。

決して変えることのできない自然の摂理の中で、自分らしく死にたい、それはどういう「死」なのか、「死を考える」ということは「生き方を考える」ということでもあります。

QOD(Quality of Death)は、QOL(Quality of Liffe)を考える、ということです。

QOL が ”人生の質”、QOD は ”死の質” です。

日本でもかなり前から ”死の選択” を考える人がいて、近年では ”尊厳死” を法制化しようという動きもあります。

まず、言葉の整理をしておきましょう。

尊厳死

  • 人間が人間としての尊厳 (dignity) を保って死に臨むこと。
  • 過剰な医療を避け,尊厳をもって迎える自然な死。

不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと。
ただし痛みなどの苦痛を取り除く ”緩和ケア” は本人の希望によって行われる、延命治療をやめて自然な死を迎えるということ。

安楽死
本人の明確な意志に基づいて人為的な死をもたらすこと、ですが、次の3つに分けられます。
積極的安楽死

  • 患者を苦痛から免れさせるために致死薬を投与することなどによって故意に死を迎えさせる措置。
  • 日本では違法。

間接的安楽死

  • 鎮静剤の投与に乗って意識レベルを下げ、眠らせた状態のまま治療行為を差し控えることで死を迎えさせる措置。
    (苦痛緩和を目的とした間接的行為で寿命が短縮)

消極的安楽死

  • 患者の苦しむ状況を長引かせないために延命治療を行わない、あるいは治療の中止によって死期を早める措置。
  • 医師などが生命維持治療を行わない、中止するなどして、死に至らしめること。
    • 生命維持治療は、人工呼吸器、人工透析のほか、胃ろうもしばしば含まれる。
    • 日本ではこれを ”尊厳死” と言うことが多い。

尊厳死や安楽死と明確に区別しなければならない言葉もあります。

「自殺」 と 「自殺幇助(じさつほうじょ)」 です。
「殺人」 も密接に関係するかもしれません。

言うまでもなく自殺は自ら自分を殺すこと、自殺幇助は自殺者に共鳴した他者がその手助けをすることです。

日本では自殺は罪に問われませんが、自殺幇助は違法です。
もし、自殺を犯罪とするならそれが可能なのは未遂の場合だけなので自殺についてはこれで良いとしても、自殺幇助は自殺者がいなければ存在しないのであり、その自殺者が罪に問われないのになぜ犯罪か、と異議を唱える人もいます。

昔から日本では自決も自己の尊厳を守る死に方のひとつとしてあったし、お侍の時代には「切腹を申し付ける」などといって介錯さえしたので、異議にも一理ありとは思いますが。

現在、積極的安楽死が合法とされているのは、ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)、自殺幇助が認められているのはアメリカのオレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州だそうです。

スイスでは1942年から自死の選択と自殺幇助は犯罪ではなかった

スポンサーリンク

スイスは ”安楽死” を法律で禁止しています。
でも、スイスは世界にさきがけて1942年から自殺幇助は犯罪とはしていなかったのです。

どういうことかというと、スイスでは医師が安楽死の薬を投与する 「安楽死」 と、医師が薬を処方し患者自らの決断で自死する 「自殺幇助」 ははっきりと区別しているのです。
医師が致死薬を投与するのは禁止、でも医師が致死薬を点滴に入れ、患者本人がそのストッパーを開くのは合法なのです。

スイスには「エグジット」と「ディグニタス」という2つの自殺幇助の団体があります。
「エグジット」はスイス在住者のみ登録可能で会員数約7万人、「ディグニタス」は外国人でも登録可能で会員は世界各国の人々で約5,500人だそうです。
もちろん死を実現するための判断は厳格に行われますし、致死薬の処方が可能と判断された会員の8割は、苦しまないで死ねると分かるだけで安心して自殺しない、と言う効果もあるそうです。

安楽死が合法な国、自殺幇助が合法な国・地域は確かにあるけれど、それぞれの国の反対運動や反対意見もまた多く、その国の国民すべてがそれを良しとしているわけではないことはもちろんです。
そもそも「尊厳死」「安楽死」「自殺幇助」のとらえ方が日本とは違う点があるということは注意すべきところです。

日本の、尊厳死の法制化は進んでいる?止まっている?

「日本尊厳死協会」という団体があります。
1976年に「安楽死協会」として設立、1983年に「日本尊厳死協会」となっています。

1981年にはがんが日本人の死因の第1位となり、この頃から ”ターミナルケア” や ”緩和ケア” ”ホスピス” など末期医療の必要性についての議論や実践が盛んになったようです。

1990年代から2000年代にかけて,患者に対する治療を中止した医師が検挙される事件が相次ぎましたが、すべて刑法199条の殺人罪、または刑法202条の嘱託殺人罪(自殺幇助)に問われ有罪(執行猶予付き)となっています。過去に起きた積極的安楽死にかかわる事件はすべて、刑法199条の殺人罪、または刑法202条の嘱託殺人罪(自殺幇助)に問われ有罪(執行猶予付き)となっています。

がん患者の末期の苦痛緩和には「ターミナルセデーション」が提唱され始めました。
「ターミナルセデーション」は ”鎮静剤を投与して意識水準を下げる医療行為、最終的な手段” です。

そうしたことを背景に、厚生労働省は 2007年、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」で医師が延命治療を中止する際の手続きを示しました。
ただしこれで医師の刑事責任が免除されるものではありません。

これと前後して「尊厳死」の法制化への動きが具体的になっていったようです。

現在は超党派の議員からなる「尊厳死法制化を考える議員連盟」や一般社団法人となった「日本尊厳死協会」が率先して法制化を目指し、
「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」として2つの案が提出されていますが、今だ国会の審議には至っていません。

「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」の全文を見たいと思いましたが、法律案それだけを中立の立場で読もうと思ってもうまく探せませんでした。
これは法制化に反対する方々のサイトなのですが、ここしかないのでここにリンクします。

ことほど左様に法制化には断固反対の人も相当数いらっしゃいます。

立場立場によって、人の死を法律で定義することが出来るのか、そもそも「死の判定」を誰が出来るというのか、何を以て「死」とするのか、簡単に(ではないけれど)死ねるとなったら安易に安楽死を選ぶ人が増えないか・・・。

あるお医者様は、
「医師は基本、それをしたら患者さんが亡くなってしまう ということに対してそれはしない、できない。」
「法的整備がされたら気が楽かなとは思うが、やはり法律があっても思いは同じだと思う・・・。」

スピリチュアルの江原啓之さんは、
「自己の尊重 ばかりが主張され、それが通ってしまったら、死んだほうが良い という風潮になるのが怖い。人は価値があるから生きるのではない、生き抜くことに価値がある」
「人は色々な命を感謝していただき、生きている、自分の死だけ自由にしてよいものか」
とおっしゃっています。

肯定派にも反対派にも、それぞれ心を打たれる、非常に重い見解と意見があります。

いずれにしても「リビングウィル」(自分の意志を元気な時に表明しておくシート)は世界共通で、大切なものとされています。

日本ではタブー視されがちな「死に方」の話ですが、本当に大事なことだと思います。

人の生き方は誰にも拘束されないのと同じように人の死もまた、何者かに拘束されるものではないと思いますが、「死ぬこと」や「死に方」も含めて「生き方」なのでしょう。

私は色々と考えて、今、一生懸命生きることの他に出来るのは ”終活” だと思ったのです。

まずは検体登録をしようと思ったのですが、まだ若すぎて?当該地域での登録が出来ませんでした。

エンディングノートはまさにリビングウィルですね。

私自身は近い将来、必ずお独り様になるものですから、やはり ”尊厳死” が出来るならしたいと思います。
法制化はいまのところどちらでも良いですが、どうかその時の医師や看護師さん、かかわってくれる(羽目になった)人に支障ありませんようにと、それはリビングウィルに書いておこうと思いました。

少子高齢化社会-年寄りがいなくなれば世の中良くなる?

それにしても世の中は加速度を増して「少子高齢化」が進んでいます。

内閣府のデータによると、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は27.3%(平成28年10月1日現在、推計)。
なんと4人に1人は高齢者です。

WHO(世界保健機構)や国連の定義では65歳以上の高齢者の割合が21%を超えると「超高齢化社会」だそうです。
日本は、もうとっくに「超高齢化社会」に突入しています。

こうなると、誰もが安心して年寄りになれる世の中ではない、というのは高齢者自身よりもむしろ若い人の共通した意識ではないかと思います。

若い世代が少ないのに年寄りがいっぱいいるって、本当に不安なことですよね。

だって、歳をとって体力・気力が低下すれば病気でなくても人様の助けが必要になり、生きるだけで手間もお金もかかります。
老いてなお元気な人ばかりなら良いけれど、それにしても年寄りは少なからず周囲の手を借りていきています。

世話するほうもされるほうも、なんのこれしき、気にするこたあねえよと笑い飛ばして済む環境に生きられたら幸せですが、どうも世の中がギスギスしていて、お気楽でいられない人が多いです。

実際、年寄りがいなくなれば世の中良くなる的な若い人の発言は、数は少ないにしてもそれを肯定するとか、否定しない空気は蔓延していると感じます。

  • 高齢者保護の政策ばかりで若者をないがしろにしている
  • もっと未来を担う若者の支援をしてくれ
  • 将来もらえない年金制度なんて廃止しろ
  • 病院のベッドは高齢者で埋まっている

などなど・・・。

高齢間近で予備軍の先頭にいる我が身にはなんとも肩身の狭い話ですが、若い人の気持ちもよくわかります。

若い人にしてみれば、懸命に働いたってお給料は上がらず社会保険料は上がる、税金高い、子供は一人で精一杯、親は年取るばかりで物心ともに負担増、イイことナシですよね・・・。

確かに核家族化が進み、親を見るといっても昔は子供数人で役割分担していたのが今は一人っ子が全部背負う羽目になったりしていますし、高齢者が増えて労働人口が減れば一人当たりの負担が大きくなりますし、消費も減少、経済成長率は著しく下がります。

若い人にばかり苦労かけて申し訳ない。
そんな気持ちにもなります。

もちろん、年寄りに価値がないなんてことはなくて、いつの時代も年寄りの経験と知恵は世の中の役に立っているし、なにより今の日本があるのは今の年寄りが若い時に頑張ってきたからに他ならないでしょ?

誰しも必ずトシをとり老いてゆきます。

若い人たちは、自分が将来年寄りになった時にどうありたいか、どんな世の中であってほしいかを考えれば年寄りは不要だとばかりは言えないと思うのですけれどね。

そういう自分も若い頃はヨタヨタしている年寄りを見て、「毎日何が楽しくて生きているんだろ」なーんて思ったりしたものですが。

いつの時代も、役に立つ年寄りやお金持ちの年寄り、不死身かと思うほど元気な年寄りもいれば、そうでない年寄りもいます。
若い人だって、懸命に生きる人もいればダラダラと生きる人もいる。

世の中の「弱者」を、どうとらえ、導き、保護してゆくのかを考える社会でなければならないのは高齢化社会に限ったことではないはずです。

「LGBTには生産性がない」と言ったのは自民党の杉田水脈(すぎたみお)議員ですが、生産性とか財産で測れないのが人間の価値です。

ただちょっと、今後の日本は年寄りの数が多過ぎるのよねぇ。

せめて、自分でどうにもならなくなったら潔く死なせてほしいと、いよいよアラカンの私はわりと真剣に考えて ”終活” をしようなどと思ったりするのです。

ちょっと応援してやるかと思っていただけたら・・・

ブログランキング・にほんブログ村へ

励みになります、ありがとうございます!

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする