橋本庄三郎=後藤庄三郎光次、家康に見いだされ江戸時代の小判を造った人

徳川家康の天下統一を象徴する慶長小判 Wikipediaより
徳川家康の天下統一を象徴する慶長小判 Wikipediaより

名もなき京都の職人が、彫金や財産運用の才能を家康に認められて大出世した後藤庄三郎光次。
実直で ”今なすべきこと” を常に冷静にしっかりと見極めることの出来る人でした。

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橋本庄三郎ってどんな人?

京都の名家・後藤家の職人。
5代目後藤徳乗に認められ、家康に見出されてぐんぐん出世して家康の側近にまで昇り詰めるのです。

橋本庄三郎(はしもと しょうざぶろう)

本名 橋本庄三郎 (本姓は山崎との説もあり)

のちの後藤庄三郎光次(ごとうしょうざぶろうみつつぐ)

生年月日 1571年
没年月日 1625年7月23日

足利家の御用彫金師であった後藤家は京の名家。
宗家5代目徳乗は信長、秀吉に仕え、分銅・判金の製作を行った人です。

橋本庄三郎は、その徳乗に職人として従事していました。

1595年、徳乗に才覚を認められた庄三郎は「後藤庄三郎光次」の名を拝し、後藤の家督を継ぎます。

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家康に小判の鋳造を命じられる

豊臣秀吉は彫金の名門後藤家に命じ大判(天正菱大判金、天正長大判の2種類)を造らせていました。大判は主に家臣への恩賞、朝廷・公家への贈答用として用いられ、よほど高額の取引以外には貨幣として通用しませんでした。

貨幣として流通する小判を考えていた家康は、秀吉の許可を得ると、徳乗の名代として江戸へ下向した庄三郎光次に小判の鋳造を命じます。

庄三郎は本当の後藤家の人間ではないため、家康の命で「天下万民に流通する日本初の小判」を作れることは堂々と「後藤庄三郎光次」を名乗れる千載一遇のチャンスでした。

庄三郎は、江戸本町一丁目を拝領し後藤屋敷を建てると小判の極印を打つ後藤役所を設けました。
これがいわゆる「金座」です。
この地は現在の日本銀行本店の所在地です。

この後、江戸時代には金貨、銀貨、銭貨の3種類の鋳造貨幣が使用されますが、それぞれ金座、銀座、銭座という別々の場所で鋳造されました。
東京の「銀座」は江戸にあった銀座からその名が来ています。

やがて徳乗の「本家・後藤」は「大判座後藤」、金座の庄三郎は「金座後藤」と呼ばれるようになり、本家としても明確に区別するようになります。

庄三郎の考案した新しい技術で作った小判には本家後藤の紋を入れることは許されなかったのですが、庄三郎が徳乗の次女で二歳年上のお亀の婿養子になる条件で本家の紋を入れることが許され、庄三郎は「金座後藤」の「初代庄三郎光次」を名乗り、以後「金座後藤」の当主は世襲制となります。

徳川家康は庄三郎が彫金師としてだけでなく、財産の運用に長けている才能を見抜き、関ケ原の合戦に備えて軍用金の調達を命じます。

多額の資金調達をやってのけた庄三郎は、関ケ原以後、家康の側近として全国に流通する「慶長小判」を鋳造し、京都伏見に「銀座」開局を命じられ、ぐんぐん出世してゆきます。

1604年には長男銀之助が生れました。

1607年、家康が天下を取り駿府城へ移ると家康の財政顧問として活躍し、庄三郎は御金改役(おかねあらためやく)を命ぜられます。

「金座後藤」はいよいよ幕府の通貨鋳造をすべて検査し極印を押すという重要な任務が「家業」となり、金に関する一切の事項をつかさどることになるのです。

大活躍・大出世の庄三郎は、長男が生まれた頃に家康から側室を下賜(かし・身分の高い人からくださること)されたといわれています。

側室は大橋局(おおはしのつぼね)と言いますが、家康の側室だったとか、秀忠の正室お江(おごう)に仕えていたところ秀忠の手がついて家康の命で庄三郎の側室になったとか、家康の側室阿茶の局の連れ子だとか、諸説あります。

この大橋局が男子を産みますが、これも家康の子(孫?)だとか、秀忠の子だとか他説がありはっきりしません。

ともかくこの側室の子「お松」が先に生まれた長男銀之助を差し置いて、「二代目庄三郎広世」となるのです。

なぜ長男を差し置いて二代目の跡目を継げたのかと言えば、家康の御落胤(ごらくいん・父親に認知されない庶子、落し胤(だね))だからだというのですが・・・。

ところで家康は徳川の家紋「葵紋」入りの大判、小判は造らせなかったといいます。

大判座後藤も金座後藤も、後藤の紋は「桐紋」で、徳川の判金に受け継がれたのは「桐紋」でした。

家康亡き後も家康の遺訓は受け継がれたようで、江戸時代を通して「葵紋」の判金は出現していないそうです。

家康によって見出された庄三郎は外交の才能もあったようで、外国との貿易業務もこなし、外国人の受けも良かったそうです。
「人の隠れた能力を見抜く」家康の目はするどく天才的だったのですね。

出生もよくわからず、もしかしたら姓などなかったかもしれないといわれるタダの職人だった庄三郎。

本家師匠の徳乗が敵対心を燃やすほどの才覚と実直さで、家康の側近にまで昇りつめた後藤庄三郎光次の生涯。

2019年NHK正月時代劇「家康、江戸を建てる」の後編が、この後藤庄三郎光次でしたね。
柄本佑さんがとっても魅力的に演じていらっしゃいました。
彫金師としてのお話だけでしたが、もう少し先の後藤庄三郎も見たかったです。
続編、作ってくれないでしょうか・・・。

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