イチロー引退!現役28年、50まで現役ならず。感動のラストと引退会見。

2019年3月21日、イチロー選手が現役引退しました。
昨年3月マリナーズに復帰、5月に球団と生涯契約を結び”特別アドバイザー”になり試合出場はなくなりましたが引退ではなさそうだし、「最低50歳までは現役」とおっしゃっていたのでまだまだイチロー選手の活躍を見られると思っていました。
マリナーズへの復帰をとても喜んでいたイチロー選手ですが、やはりマリナーズもイチロー選手も、この日を想定していたということでしょうか。
平成最後の出来事としていつまでも人々の心に残る1日になりました。

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レジェンド・イチローの引退会見


↑ 米メジャーリーグ・シアトルマリナーズの公式ツイッターにて、イチロー選手の引退コメント

「私は野球で多くの夢をかなえてきました。日本でのキャリア、そして2001年からはメジャーリーグと両方でです」
「シアトルで始めたメジャーでのキャリアをマリナーズとともに終えられることを光栄に思います。プロ選手としての最後の試合を、母国の日本で出場できたことは良かった」
「日本とアメリカのファン両方に、そして、私を支えてくれた全ての人に感謝します」

ニッポンが生んだ世界のスーパースター、野球界のレジェンド イチローが引退・・・。

こんな日が本当に来るなんて・・・。

平成の最後に、イチローは45歳で現役を引退しました。

「最低50歳まで現役を続ける」ことは叶わなかったけれど、イチロー選手の引退試合と引退会見が日本で行われたことは嬉しかったです。

3月21日東京ドームで行われたメジャーリーグ開幕第2戦の終了した夜、イチロー選手は引退会見を行いました。

異例の深夜・長時間会見は23時56分から1時間23分間、ひとつひとつ真剣に、丁寧に答えるイチロー選手。

その言葉は、それこそすべてが名言と思われました。
私のようなタダの凡人にはわかるはずもない、偉業を成し遂げた人の、28年の重みと厚みに圧倒されました。

それでもその偉大なレジェンドの言葉のひとつひとつが、タダの凡人であっても自分自身に重ねて噛みしめてしまうような、実感を伴って肌身に染みるような感じがして見入ってしまいました。

かつて、自分は天才ではないと言ったイチロー選手の ”積み重ねた努力” のスゴさを感じた会見でした。

2009年シアトルで張本さんの記録を破ったイチロー選手と談笑

2009年シアトルで張本さんの記録を破ったイチロー選手と談笑(画像拝借:SponichiAnnexより

日本歴代最多の3085安打の記録を持つ張本勲さん。
イチロー選手は2009年4月16日のエンゼルス戦でイチローが日米通算3086安打を放ち、張本さんが観戦しているその試合で、張本さんの記録を破りました。

イチロー選手引退を受けた張本さんは、こう賛辞を贈りました。

「『張本さんのいる前で、っていうことが一番重要だった』。彼はそうも言ってくれた。一生の思い出になった。」

「日本で、米国で。本当に長い旅路だったと思う。前日の試合はテレビで見た。生まれ故郷の日本で勇姿を見せてくれてうれしかった。世界に誇れる打者は王(貞治)とイチローの2人だけ。この先1世紀はこういう選手は出てこないだろう。本当によくやった。「大あっぱれ」ですよ。」

米国野球殿堂の公式サイトでは2025年に殿堂入りする新たな候補者として紹介され、国内では菅義偉官房長官が国民栄誉賞授与を検討していく考えを示しました。

イチロー選手にはなんでもすべて、これまでのように辞退されることなくお受けいただきたいと思います!

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レジェンド・イチロー語録

どこかで誰かが、「息をするように名言を吐く」というようなことをおっしゃっていましたが、全くその通りだと思います。

21日の引退会見は、食い入るように全部観ましたが、おっしゃっていることは今まであらゆるところでおっしゃっていたことと何も変わらないんですよね。

”引退” ということで記者の質問に沿って総まとめしたような感じで、あれ?こんなこと言うんだ、というような意外な言葉はひとつもないんですよね。
本当にブレない人だなぁ!と、あらためて思いました。

と同時に、こんなにスゴい人でも凡人並みにカベにぶつかりながら頑張ってきたんだな、と分かり切っていることに今更ながら感動したりしました。

名言集や格言というの本もたくさん出ているし、ネットにも山ほどあるのですが、イチローさんの言葉は、なんだか不思議と素直に、私も文句言ってないで頑張ろう って、自然に背筋が伸びるんです。

引退会見からのイチロー語録

  • (28年間貫いたものは何かとの問いに)野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったと思います。
  • 誰かの思いを背負うというのは重いことですので。1打席1打席立つことは簡単ではない。疲れました。やっぱり1本ヒット打ちたかったですし、僕には感情がないと思っている人もいますけど、意外にあるんですよ。結果を残して最後を迎えられたら良かったですけど、それでも最後まで球場に残ってくれて、そうしないですけど、死んでもいいというのはこういう時なのかなと思いました。
  • 生きざまというのは僕にはよく分からない。生き方という風に考えれば、先ほどもお話ししましたけど、人よりも頑張るなんてことはとてもできない。あくまでも「量り」は自分の中にある。量りを使いながら、自分の限界をちょっと超えていく。そうするといつの日かこんな自分になっているんだ。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思っているんですよね。
  • 「クビになるんではないかな」はありました。毎日そんな感じでしたね。ニューヨークは特殊な場所です。マーリンズも特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんです。首になる時はそうなるだろうと思っていたんで。マリナーズ以外に行くという気持ちがなかったというのは大きかったですよね。去年、本当にうれしかったですし。その後5月にゲームが出られなくなる、あの時もそのタイミングでもおかしくないわけですよね。この春に向けて可能性があると伝えられていたので、そこも自分が頑張って来られたと思うんですよね。
  • 成功かどうかはよく分からないですよね。全く僕には判断ができない。だから僕は成功という言葉が嫌いなんですけど。メジャーリーグに挑戦するということは大変な勇気だと思うんですけど、あえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生む。やってみたいなら挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はでない。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていった方がいいですよね。
  • 日本の野球で鍛えられるというのはあるんですよね。メジャーリーガーよりも基本的な基礎の動きって、日本だと中学生レベルの方がうまい可能性はありますよ。チームとしての連係は日本で言わなくてもできますからね。アメリカでは個人としてのポテンシャルは高いですけど、そこは苦しんであきらめましたよ。
  • アメリカでは僕は外国人ですから。このことは外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね。体験しないと、自分の中からは生まれないので、孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだよと今は思います。だから、つらいことしんどいことから逃げ出したいと思うことは当然だと思うんですけど、元気な時、エネルギーのある時にそれに向かっていくのは大事なことだと思います。

過去のイチロー語録

  • 努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念。第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうではない、という状態になくてはならない。
  • 実践でないとできないことがあります。一瞬の判断は練習では養われません。
  • ハイレベルのスピードでプレイするために、僕は絶えず体と心の準備はしています。自分にとって一番大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。
  • ようするに”準備”と言うのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく、ということですね。
  • 出来る限りの準備をしても、次の1本が打てる保証がない。だから野球は楽しい。
  • 天才は、なぜヒットを打てたか説明できない。僕は、きちんと説明できる。だから天才じゃない。
  • 近道はもちろんしたいです。簡単に出来たら楽なんですけど、でもそんなことは一流になるためにはもちろん不可能なことですよね。一番の近道は、遠回りをすることだっていう考えを、いまは心に持ってやっているんです。
  • 変化は、前に進んでいることを表しているとは限りません。後ろに行っても、違う自分、ですからね。
  • プロセスで、もっとやっておけばよかったというのは一切ないけど、結果としてもっとできることはいっぱいありました。
  • こういう時に誇れるのは4000安打といういい結果ではない。僕の数字で言えば8000回は(凡打の)悔しい思いをしてきたし、それと常に自分なりに向き合ってきた事実がある。誇れるとすればそこじゃないかなと思う。
  • 言葉とは”何を言うか”ではなく、”誰が言うか”に尽きる。その”誰か”に値する生き方をしたい。

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奇跡のようなイチローの軌跡

愛工大名電時代

地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(三塁手) 。
2年時に夏の甲子園(左翼手)、3年時に春の甲子園(投手)いずれも初戦敗退。
松井秀喜とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。

3年間の高校通算成績:536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131。

高校時代は投手だったが、交通事故(自転車での通学中に車と接触)による怪我が原因で投手から野手転向を余儀なくされる。
投手としても有力な選手として当時から名前が挙がっていた。

オリックス時代
1992年7月11日の対福岡ダイエーホークス17回戦(平和台球場)で1軍初出場。
翌日の対ダイエー戦で初スタメン出場、プロ初安打。この年は打率.366。

1994年の公式戦開幕直前の4月7日、登録名を本名「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。
仰木監督に見いだされ、最終的にはパシフィック・リーグ新記録となる打率.385(2000年に自ら記録を更新.387)を残して首位打者を獲得。そのほかにも最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞を獲得し、打者として日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得。

鈴木一郎からイチローになった頃

鈴木一郎からイチローになった頃

1997年6月に「209打席連続無三振」の日本プロ野球記録を樹立、その年は「216打席連続無三振」まで記録を伸ばす。

1998年は打率.358、181安打でシーズンを終え、張本勲の4年連続を抜いて日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成。

1999年日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。

2000年10月12日、記者会見でポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦の意向を表明。

マリナーズ時代

2000年11月10日に、日本人初のポスティングシステムによる独占交渉権をシアトル・マリナーズが1300万ドル余りで獲得。19日に3年契約で合意し、28日に渡米。30日に3年総額1400万ドルで正式契約を結び、日本人野手初のメジャーリーガーとなった[注 1]。背番号は51。

2001年、4月・5月2か月連続で月間新人MVPを受賞。
オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得。日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。

8月28日、132試合目での200安打に到達。
9月8日、球団最多安打記録の215安打を更新。
8月・9月2か月連続で月間新人MVPを受賞。
この年、シーズン242安打(当時歴代9位)でメジャーリーグの新人最多安打記録を更新。
新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞を獲得、コミッショナー特別表彰を受ける。
打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。

2004年5月、NPB/MLB通算2000安打を達成、自身2度目の月間50安打を記録。
4年連続オールスター先発出場。
84年間破られることのなかったジョージ・シスラーのメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を更新、262安打。

2005年6月14日、696試合目でメジャー通算1000安打を達成。

2006年、この年初めて開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出される。
NPB/MLB通算800単打も達成、メジャー史上3人目となる6年連続200安打を達成、盗塁成功率.957を記録。

2007年7月、5年9000万ドルで契約を延長。
7月29日メジャー通算1500安打を達成。
7年連続200安打(史上3人目)を達成。

2008年、8年連続の「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」。

2009年メジャー通算2000安打を達成。
9年連続「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」。

2010年メジャー通算1000得点を達成。
10年連続「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」。

2011年は様々な連続記録が途切れた不振の年、各メディアが「年齢による力の衰え」などを挙げた。

2012年1817試合目でメジャー通算2500本安打を達成。

ヤンキース時代

2012年7月23日、自ら志願してニューヨーク・ヤンキースへ移籍。背番号31。
「11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐと想像したときに、大変さびしい思いになったし、今回の決断は大変難しいものだった。オールスターブレークの間に自分なりに考えて出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」
「結果的には一番勝ってないチームから、一番勝っているチームに行くということになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思います」

背番号 31

背番号 31

2013年の黒田博樹とダルビッシュ有が先発した6月25日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー2本目となるサヨナラ本塁打。
7月14日、ミネソタ・ツインズ戦でメジャー通算2000試合出場を達成。

2014年、両リーグで5番目に年長の選手となり前年より少ない143試合の出場、102安打に止まりながらも打率.284。

マーリンズ時代

2015年1月27日にマイアミ・マーリンズと年俸200万ドル+出来高の1年契約。背番号51。
両リーグで3番目に年長の選手となる。

背番号 51

背番号 51

4月7日、開幕戦に代打で登場した際ファンがスタンディングオベーションをし、イチローは「僕だって心は動く」と感動した。

2016年 NPB/MLB通算700盗塁
NPB/MLB通算4257安打となり、NPB/MLBの通算安打でMLB最多安打記録を更新、6月24日世界記録としてギネス記録認定。

2017年、NPB/MLB通算5863塁打、王貞治の日本記録を日米通算で塗り替えた。

マリナーズ復帰

2017年12月、マーリンズからFAになって諸所属が決まらなかったイチローは、日本にお里帰りした際、「ペットショップに売れ残った大きな犬みたい」とジョーク交じりに話していましたが・・・。

2018年3月、マリナーズと1年契約、年俸75万ドル、出来高でマイアミ時代の年俸である200万ドルまで増額されるとされた。

5月3日、マリナーズと「スペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)」の契約を結び、選手としては今季の残り試合は出場しないことが発表された。

2019年1月24日、マリナーズとマイナー契約、3月20日にメジャー契約に切替。
3月20日・21日東京ドームでのアスレチックスとの開幕2連戦でともに9番右翼手として先発出場。

2019年3月21日、引退発表
45歳、日米通算4367安打(日本1278、米国3089)。メジャー3090安打目は叶わず。
試合後の会見は「日本で9年、アメリカで19年目に突入したところなんですけど、今日限りで現役生活にピリオドを打ち、引退することを決めました」という言葉で始まった。

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