お寺の数はコンビニより多いって、いつ、なぜこんなに出来たの?

大阪四天王寺
大阪四天王寺

お寺の数がコンビニより多いって?文化庁 宗教統計調査によると、
「宗教法人」の数は 77,232、「寺院」の数が 75,744寺。
ホント!全国のコンビニの店舗数(約47,000)を大きく上回ります。

寺院数日本一は愛知県の4,566寺、二位が大阪の3,295、三位は兵庫の3,212、
以下滋賀3,070、京都3,026、千葉2,973、東京2,806、新潟2,774・・・ 。
びっくり仰天のお寺の数のナゾに迫ります!

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コンビニの軒数より多いお寺はいつできたの?

日本のもっとも古いお寺は大阪の四天王寺と奈良の法隆寺で、
仏教を広めるために聖徳太子が建立したお寺です。

聖徳太子は574年生まれ、飛鳥時代の皇族で政治家で
天皇を中心とした中央集権国家体制を確立しました。

仏教と神道を厚く信仰し興隆につとめた聖徳太子は
日本の仏教の祖であり、
8世紀には「本朝(日本)の釈迦」と仰がれ、
観音菩薩の化身として尊ばれるようになります。

この後江戸時代を迎えるまでに無数のお寺が建てられますが
江戸時代~明治時代初期までは新しいお寺は増えず、
むしろ減少し、その後にまた少し増えて現在に至ります。

つまり今、全国にあるお寺は、有名無名を問わず
何百年という古い歴史を持つお寺と、
ここ150年の間に出来たお寺とに おおよそ分けることができます。

今は2017年、聖徳太子が生れて1400余年、
日本のお寺はどのような歴史をたどって来たのでしょうか。

お寺が建てられた時期(1)

お寺がたくさん建てられた1つめのきっかけは、あの聖徳太子です。

飛鳥時代
時は飛鳥時代、政治は朝廷(天皇家)が司っておりました。

豪族(ごうぞく)蘇我稲目(そがのいなめ)は2人の娘を天皇家に
嫁がせて外戚関係を築き、いよいよ蘇我一族が台頭し始めます。
蘇我稲目(そがのいなめ)の息子蘇我馬子(そがのうまこ)もまた、
時の天皇に娘を嫁がせ、そこに生まれたのが厩戸皇子(うまやどの
おうじ・没後に聖徳太子と呼ばれる)です。
(豪族:地方の一地域の権力者)

仏教を推す蘇我馬子と敵対する物部氏との戦いの折、
厩戸皇子は白膠の木を切って四天王の像をつくり戦勝を祈願し、
勝てば仏塔をつくり仏法の弘通に努める、と誓いました。

戦いに勝利した蘇我馬子は朝廷の側近として政治の実権を握ります。
皇太子となった厩戸皇子は約束通り四天王寺を建立
以後馬子とともに政治の表舞台で活躍することになります。

馬子もまた、諸天王・大神王たちに願をかけ、
戦勝の暁には、寺塔を建てて三宝を広めることを誓い、
法興寺(別名飛鳥寺、奈良に移ってからは元興寺)を建立します。

厩戸皇子は「法華経」「維摩経」「勝鬘経」の三つの経の解説書
「三経義疏」を書き、仏教の導入に積極的な役割を果たしました。
この後、仏教は国家鎮護の道具となり、天皇家自ら寺を建てるように
なるのです。

国家鎮護のための仏教の布教、天皇家による寺の建立の動きは
馬子が勝利した時の天皇「推古天皇」から12代先、奈良時代の
「聖武天皇」の時代にピークを迎えることになりますが、
他の貴族や民衆によって建てられる寺も出現します。

お寺が建てられた時期(2)

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お寺がたくさん建てられた2つめのきっかけは、
政治のための仏教から民衆を救うための仏教が生れ、新しい宗派が生れたことです。

仏教がますます盛んになり、寺院の勢力が拡大すると
「国家鎮護のための仏教」は政治介入も著しくなります。

平安時代にはこうした動きへのけん制も出てくるわけです。

桓武天皇(かんむてんのう)の命により中国で密教を学んだ
最澄(天台宗)空海(真言宗)にはそれぞれ
比叡山と高野山を与え寺を開かせ、密教を広めさせました。
勢力を強めた奈良時代の仏教に対抗するためです。

また、民衆の間でも社会不安から浄土信仰が流行、
貴族もまた極楽往生を願い、阿弥陀如来を本尊とする仏堂をたくさん
建て、その究極として宇治の地に平等院を建立しました。

鎌倉時代~室町時代
この戦国時代は仏教界も動乱の時代。
宗教団体やお寺の乱立時代です。

国家鎮護のためでなく民衆の救済のための仏教がいよいよ盛んになり、
様々な宗派が生れ、お寺もどんどん建てられました。

「南無妙法蓮華経」と唱える日蓮宗
「南無阿弥陀仏」と唱える浄土宗
浄土宗から派生した浄土真宗(一向宗)融通念仏宗
禅宗の始まりもこの頃で、臨済宗曹洞宗が始まり、
奈良時代の仏教からも新たに律宗真言律宗などが生まれました。

同じ宗祖(その宗教を開いた創始者)を仰ぐ宗教団体でも、
宗派や、更に同じ宗派の中でも門流が分かれたりすると、
別の教団になります。

例えば織田信長が討たれた「本能寺」は日蓮を祖とする
「法華宗本門流」で、日蓮宗とは違います。
同じ日蓮を宗祖としていても、
日蓮宗にも法華宗にも宗派や門流がたくさん出来ました。

同じ仏教でありながら宗派、門流が分かれるのは
仏教の開祖はお釈迦様ですが、お釈迦様の教えをどう解釈し
どう伝えるかによって分かれるからなのです。
この戦国時代のように、
それは時代背景、思想、世相などが密接に関係します。

戦国時代にはまた、有力な武将や大名の多い地域には先祖供養のための
菩提寺が多く建てられました。

現在ある古いお寺はこの戦国時代に建てられたものがとても多いです。

お寺が建てられない江戸時代

江戸時代 (1603年~1868年)

お寺の乱立時代を経てお寺の数はピークに達し、江戸時代に突入します。

1770年頃の全国のお寺の数は46万~50万ほどあったようです。

このようにたくさん建てられたお寺ですが、江戸時代にはほとんど
増えませんでした。
お寺を建てることが禁止されたのです。

1612年(慶長17年)キリスト教禁止令を出した江戸幕府は
キリスト教徒でないという証しに、キリシタンではないことを
寺院に証明させる「寺請け制度」(てらうけせいど)を実施します。

お寺は、檀家である証明として「寺請証文」を発行し、
それはつまり、事実上は全国民に課せられることになり、
誰もが必ずどこかのお寺に檀信徒として属することを義務づける、
国民全員仏教徒となることを強制することです。

これが「檀家制度」(だんかせいど)の始まりです。

幕府はまた、「本末制度」を設け新寺建立禁止令を出し、
各宗派の寺院を本山・末寺の関係に置くことで寺院の統制を図り、
檀家には檀那寺(檀家となったお寺)への参詣や年忌法要、寺への付け
届けも義務としました。

寺院もこれに乗じて法要や仏事にかかるお布施のほか寺の改築費用や
本山への上納金など、様々な名目で檀家に経済的支援を強要します。
檀家がこれを拒否すれば寺は「寺請け」を拒否します。
檀家は否応なく従うしかありません。

幕府は「本末制度」によって宗教団体や寺院の相互関係を明らかにし、
「新寺建立禁止令」によって新しく寺を建てることを制限し、
「禁教令」によって反発する教団やキリスト教を弾圧し、
「檀家制度」によって住民の戸籍を寺に管理させたのです。

こうした背景の中、
もともと人々が抱く祖先崇拝の思想
寺院で法要・供養・葬儀を行うことを受け入れ、
檀家制度が受け入れられたという側面もあります。

檀家に対して圧倒的な力と、安定的な財源を確保した寺院は、
やがて本来の仏教の教えを広めるという目的もそこそこに
お寺の経営に勤しむようになる一方、
檀家、お布施を集められないお寺は衰退してゆくなど
だんだんと本末制度、檀家制度ののほころびも見えてきます。

その後のお寺が、経営のために仏事に重点を置いた、いわゆる
「葬式仏教」と悪口を言われるゆえんはこの時代にあるのです。

お寺が減った明治時代

明治維新が起こり、「大政奉還」によって政権が天皇家に返上されると
仏教でなく神道を重視した政府の政策は「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)
の運動のきっかけとなります。

日本の仏教は神道と融合し、神道と仏教の明確な境がないのが一般的
でしたが、明治政府の政策は神仏分離を目指しました。

それは仏教を排除するものでは決してなかったものの、
檀家制度に苦しめられていた民衆の反発も「廃仏毀釈」を加速させ
ました。

各地で「廃仏毀釈」の徹底などの動きが激しくなり、
その結果、寺院の特権が廃止され、寺院数も減少しました。

キリスト教も解禁され、各宗教団体の近代化が図られ、宗教大学が設立されたのも
明治時代です。

そんなにたくさんのお寺がみんな維持できてるの?

さて、現在。
コンビニより多いお寺はみんな健在なのか?? 気になるところです。

多分、みんながみんな健在なわけはありませんよね。

大きく分けて、お寺の運営方法は3つです。

檀那寺(だんなでら、回向(えこう)寺とも)
→檀家を持ち、維持会費やお布施によって運営

祈祷寺(きとうでら、信者寺とも)
→参拝することができて、祈祷・祈願をします。
→参拝料、祈祷料、寄付金などで運営

観光寺
→観光客向けに運営しているお寺。
→拝観料、物品販売などで運営

それぞれに「お寺経営」は大変そうです。
檀那寺は檀家が増えなければお布施も減ってゆくでしょう。
祈祷寺、観光寺はいずれも 企画力と集客力が必要です。

それはどの世界も同じです。
うまく行っているところは潤うし、そうでないところは苦しいでしょう。

宗教法人には税金はかかりませんが、収入自体が少なければ
苦しいのにはかわりありません。

日本のお寺で一番多いのは言うまでもなく、檀那寺です。

檀家制度がもたらした ”弊害”は
仏教を教え広める、という本来の目的をも見失わせてしまったのかも
知れません。

お寺は世襲制が通常となり、布教活動よりも維持運営が主となる、
檀家はお墓を預けてあるので追善供養と葬祭は行うがそれが精一杯。

どちらにしても、
檀家制度が生み出した年季法要と年中行事、冠婚葬祭といった
「仏事の司祭」のみでつながっていて、
仏教の教義が追いやられている実状がまぎれもなくあるのです。

現代まで残っている檀家制度

このように、お寺や仏教界全体が抱えている問題とは
「檀家制度」によるところが少なくないようです。

もちろん、今は檀家になるもならないも、檀家をやめるのも自由です。
よくわからなくても代々続いた檀家のままの家もたくさんありますし、
最近になって檀家になった家もあるでしょう。

危機感はお寺さんも同様に感じてます

今は昔と違って
生まれた土地に死ぬまで住み続けることも少なくなりました。

また、「家」制度が崩壊し、核家族化、少子高齢化が進み、
地方の過疎化など、生活環境と生活スタイルは大きく変わりました。

一般の家庭に「家督を継ぐ」という考え方はそうそうないでしょう。

こうなると、
例えば檀家さんが相応にあるお寺で
「檀那寺と檀家」の関係はかろうじて継続していても、
お寺との繋がりは昔建てたお墓だけ、ということも増えています。

お寺が遠ければなおさら、法事仏事どころかお墓参りにも来ず
その関係も遠のくばかりです。

お寺自体も、近代は僧侶だって結婚して世襲制で受け継いで来たもの、
とはいえ、現代は子供が継いでくれるとも限りません。
事実、檀家減少、後継者不足などで廃寺に追い込まれるお寺もあります。

しかし、存続の問題もさることながら、
今お寺に問われているのはその意義、意味かもしれません。

今、お寺は、日本の仏教は
檀家制度が定着した時代とはまた別の、新たな時代の問題をかかえて
いるのだと思います。

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