無宗教だけど、とても宗教的だと思う日本人気質はココが原点だったのね。

七福神
七福神

普段は「神」や「仏」、「宗教」などをほとんど意識せず
単なる生活習慣だと思っていることも、実は「神道」や「仏教」の行事が
基本になっていることが多くあります。

「和」を大切にし、善い行いを心がけ、悪いことをすればバチが当たる、
暮らしの中には四季折々の行事を上手に取り入れ、ご先祖様を大切にする。
日本人はよりよく生きるために神道や仏教を上手に取り入れてきたのですね。

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「日本人気質」の根っこに「神道」の歴史があります

神道は日本独自のものです。

遠い遠い大昔、この日本で、私たちのご先祖様は農耕民族で、
”自然”と共存する中で自然への驚異、恐怖、感謝、畏敬の念から生まれたものです。

自然は、人々に豊かな恵みを与える一方で
時として猛威をふるい、人知の及ばぬ力を見せつけることもあります。

人々はそんな自然の現象に目に見えない力を感じ、祈り、あがめたのです。

目に見えるもの、見えないもの全てに命は宿り、
生けるものが死してなお、その命・魂は続くと考えたのです。

まだ、信仰・神・霊・先祖などという言葉もなければ
「自然」という概念すらない時代のことです。

そうした自然崇拝、精霊崇拝、先祖崇拝は人類共通の概念で世界各地にあります。

日本において独自の体を成し、定着したものが後に「神道」と名前を付けられた、
というだけです。

日本の風土や日本人の生活習慣と共にある「ごく自然に生じた神観念」
ですので、日本人が生まれながらにして持っている民族性だと
考えると良いかもしれません。

そういう経緯ですので、現代になって「神道」は「宗教」と分類されますが
特定の教祖や創始者はいません。

神道の「神」は森羅万象に宿る「八百万(やおよろず)の神」であり、
言ってみればすべてのものが神であり教祖です。

こうした日本人の「神道」は、その後仏教が伝来した時に
ことのほか融合しやすかったのでしょう。

神道と仏教はお互いに混沌として「観念」として影響し合い、
受け入れ、一体化していたものと思われます。

神の祟りはあっても仏教に祟りという概念はありませんが、
寺院が焼失すれば仏の祟りだと言うし、

日本の神々も救いを求めていると言って仏の救済を求めたり。

日本の「神道」と、他国から伝来した仏教は違うモノ
と認識するのには少々時間がかかったようです。

「神宮寺」は、そうしたことから 出来ました。

神社のご神体が菩薩であったり、お寺に守護神がいたりするのですね。
なんだか楽しいですね。

そのおおらかさが、「日本人は無宗教」と言わせるし
他の宗教を認め、受け入れ、争いごとにならないゆえんなのでしょう。

ことさらに ○○教 とか △△宗 とか決めなくても、
神々に対する畏敬の念やご先祖様を大切に思う心を持っています。

例えば日常語に、こんなに神道・仏教が生きている

生活に密着している、というより、
生活の根本にあるのが神道と仏教だと言っても過言ではありません。

その証拠に、日本語には神道や仏教を語源とする言葉が溢れています。

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神道由来の言葉

道路のことを「みち」と言います。
「み」は神聖を示す言葉で「ち」は元々道路を意味したそうです。
「ち」の分かれるところは「ちまた」(道股)で、巷・衢・街などの字も当てられます。
巷で話題の、などと言いますよね。
道が何本も交差する所は「やちまた」(八衢)で、大きな道は「おおぢ」(大路)です。

「言霊」(ことだま)は、言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。
声に出した言葉は現実に影響すると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、
不吉な言葉を発すると良くないことが起こるということです。

結婚式や披露宴に招かれた時、特に祝辞を述べる際に
わかれる、切れるなど「不吉な言葉」を言わないように、とされるのは
この「言霊」を信じる日本人の心、思いやりです。

確かに、ポジティブな言葉で元気になり、ネガティブな言葉は気分も沈むし
後ろ向きになったりしますよね。

政治家が失態の後に復活する際に「みそぎは済んだ」などと言いますが。
「みそぎ」は「禊」と書きます。
神社を参拝する際、お参りする前に手水舎(てみずしゃ、てみずや)で手や口を
洗い清めますが、これが「禊」です。
神社を参拝する前は、できればシャワーなどを浴び、全身を浄めるのが望ましい
とされます。

お盆などに使う「みそはぎ」(水辺に咲く赤紫の可憐な花の植物)。

盆棚に飾ったり、「みそはぎ」を水に浸し、お浄めの水を
振りかけたりしますが、「みそはぎ」の名は、
みそぎをする萩→みそぎはぎ→みそはぎ です。

仏教と神道の自然な融合がよくわかる例ですね。

仏教由来の言葉

食堂ですれ違って会釈しただけだったんだけど、
あいつ頑張ってるな。根性あるよ。
相当な修羅場の時は何の因果かとよく愚痴っていたけど
一念発起して起業して。
経営もうまく行っているようだよ。
奥さんが愛嬌のある人でね、よく我慢したよ、もう安心だろう。

なんとこの短い文の中に10個もの仏教を語源とする言葉があります。

食堂:じきどう
寺院で僧侶が食事を作る、食事をするところ。

会釈:「和会通釈(わえつうしゃく)」の略
相反することを照らし合わせ、矛盾のない解釈を導くこと が転じ
人同士の融和→挨拶へと転じた。

根性:機根(きこん)に由来する言葉
仏教の教えに従い修行する能力、理解する度量・器のこと、
本来その人が持って生まれた性質。

修羅場:しゅらば
阿修羅(アスラ)と帝釈天(インドラ)とが戦った場所から
激しい争いが行われている場所・事件・状況を指す言葉になった。

因果:いんが
仏教では作用,現象の原因と結果およびその間の関係を表す言葉。
前に行った行為がそれに対応した結果となって現れる。

愚痴:ぐち
真理に暗く無知なために適確な判断を下せず、迷い悩む心の働き。
仏教の三毒(貪瞋痴)のひとつ。

一念発起:いちねんほっき
一心に悟りを求める心を起こすこと。

愛嬌:「愛敬相(あいぎょうそう」
仏・菩薩の、優しく情け深く、穏やかな容貌や態度から転じた
言葉。

我慢:がまん
仏教の七慢の一つ。「強い自己意識から起こす慢心」のこと。
ここから転じて自己主張を抑え耐えることの意味になった。

安心:「安心立命(あんじんりゅうみょう、 あんしんりつめい)」
信仰によって煩悩を絶ち、悩まず心を乱さないことから出た言葉。
気掛かりな事が無く、心が落ち着き安んじること。

※ 経営:けいえいも仏教語が語源とする説がありますが
これには諸説あり、イマイチ明確ではありません。
「経之営之=これを経しこれを営す」(これを.けいしこれをえいす)
紀元前八世紀、周の国の詩人が「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、
建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、これを経しこれを営す」
と謳ったことから、とするところが多いようです。

神様だらけで楽しいニッポン

「天照大神」は、神道における最高位の神様ではありますが、
祀られる神は天照大神だけではありません。

山の神も海の神も、岩にも草にも動物にも神は宿ります。

トイレの神様だって「厠神(かわやがみ)」といって大昔からいました。

人にも神は宿ります。
神道では、人は死んだら神の世界へ行くのです。

天皇家が政治の中心であった明治政府は、天皇は神としました。

第二次世界大戦に日本が負けて「人間宣言」をするまで、
「現人神(あらひとがみ)」(この世に人間の姿で現れた神)は
天皇を指す言葉でした。

「七福神」は日本の福の神七人衆(七神衆?)。

お正月などおめでたい行事の時によく見かけますが出身?は様々です。
それも諸説ありますが代表的なものを挙げます。

恵比寿(えびす)
大漁追福、商売繁盛、五穀豊穣の神。
イザナギ・イザナミの子「蛭子」。天照大神の兄。

大黒天(だいこくてん)
食物、財産の神。
インドのヒンドゥー教の神、マハーカーラ神。

毘沙門天(びしゃもんてん)
戦いの神、勝負事の神。
インドのヒンドゥー教の神、クベーラ神。

弁財天(べんざいてん)
紅一点!女神さま。財宝の神。
インドのヒンドゥー教の女神、サラスヴァティー。

福禄寿(ふくろくじゅ)
長寿と幸せの神。
道教(中国の三大宗教の1つ)の神の化身。

寿老人(じゅろうじん)
長寿の神。
道教の神で南極星の化身。南極星は人の寿命を司り好運を授けてくれる星。

布袋(ほてい)
布袋様の持っている袋から財を出して与えてくれる。
唐(中国の300年近く続いた王朝)に実在した僧侶といわれる。
布袋様の袋は「堪忍袋」だという説もある。

神様がたくさんいて、仏様もたくさんいる日本。
常に私たちを 「見守って下さる」かどうかはわかりませんが

かなり厳しい試練をお与えになるなぁと思うことの方が多い気がします・・・

まぁ、とにかく
信仰とか宗教とか、ことさら決めなくても
日本人はいつも、常に、さりげなく神事や仏事をゆるりと取り入れて
生きてるんだな、と思います。

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