精進料理が野菜だけなのは鎌倉時代に生れた日本的精進料理だった?

天龍寺の精進料理
天龍寺の精進料理

精進料理とは、一般的に動物性のもの(肉、魚)を使わずに作られた料理です。
また、野菜でも匂いの強いものや香辛料など刺激の強い物も基本的には使いません。
しかしだからといって単純に菜食主義の料理とは違います。

日本の精進料理は鎌倉時代の禅宗で確立されましたが、
調理方法から食事の作法に至るまで細かい約束事があります。
これにはすべての命に感謝し、仏教の教えを守る心が込められているのです。

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精進料理誕生の背景

冒頭の写真=天龍寺の精進料理・wikipediaより
「精進(しょうじん)」とは仏教用語で、
「仏道修行に専念し、身を浄めること」という意味です。
精進料理(しょうじんりょうり)が誕生する背景には
お釈迦様が悟りを開くに至った厳しい修行がありました。

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精進料理の考え方

仏教では殺生を禁じていますので動物の肉は避けます。
また、動物の肉のほか、匂いの強いもの(にんにく、ねぎ、にらなど)
も精がつきすぎ、要らぬ煩悩を生むということで禁止されています。

現代の日本の精進料理の原型は
仏教が中国へ渡り、僧は肉や魚を食べない菜食主義が発生したことから、
とされています。

中国の「医食同源」はよく知られる言葉ですが、日々の食事は健康を維持するためであり、病気を治すことと源は一緒だという考えです。

食物の栄養、効能などについてのかなり高度な知識と調理の技術が培われ、野菜のみを使用する精進料理が定着しやすかったともいわれます。

もとより食事は贅沢、美食、満腹を得るためのものではなく健康、命を維持するためのものです。

健康のためだけならば野菜だけでもこと足りるかもしれません。

が、生きるための厳しい暮らしや労働に耐えるには動物性のもの、精のつくものが必須だったはずです。

修行僧たちも、厳しい修行に耐え、悟りを開くのに必要な栄養は取らねばなりません。

そういうことなどから、実際にはその時代、地域、暮らしの中で戒律の解釈を変えて柔軟に対応したことは様々な記録にも残されています。

精進料理は野菜、とはいえ、植物にも命があるのです。

つまり精進料理は、
「生命に感謝し、自然の恵みに感謝し、大切にいただく」ということが最も大事であり、厳密に野菜だけにこだわらない、という考え方もあるのです。


それはお釈迦様が明確に示していらっしゃいます。

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お釈迦様の難行

約2500年前、インドで仏教を開いたお釈迦様。

一国の王子としてお生まれになり、何の苦労もなく暮らしていましたが、「人はなぜ生きるのか」を考え悩み続け、29歳の時に出家、修行に入りました。

6年もの断食をするなどの難行苦行を重ね、骨と皮だけになり思うように動くことすら出来なくなっても悟りを得ることは出来ませんでした。

そんな時に村の娘からもらった乳粥で体力を取り戻し、座禅に入られたお釈迦様はあらゆる誘惑や雑念をはねのけ、35歳の時、ついに仏の悟りを得たのです。

お釈迦様は80歳で亡くなるまで仏教を教えましたが、何でも手に入る享楽的な生活も、極端な苦行も否定し食事についても同様に考えました。

托鉢のみで食事を得る僧侶はお釈迦様をはじめ皆えり好みをせず、いただいたものをありがたく食します。

動物の肉も、三種の浄肉

  • 僧侶が殺された現場を見なかった
  • 僧侶本人のために殺されたと聞かなかった
  • この二つの疑いがない動物の肉

であれば食べることができました。

この頃は「調理」をする技術はなく、実際、托鉢にも動物の肉が登場することもごく少なくおもに野菜、果実、木の実などを食べていたようです。

このあと仏教は中国、朝鮮、日本へと渡りますが仏教では殺生(せっしょう)はもともと禁止でしたし、大乗仏教では僧の肉食も禁じられていました。

こうした制限の中で、食べ物を得ることや食べ方の定めについての解釈も国や時代によって変化しながら独自の食文化が発展してゆきます。

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日本の精進料理

日本で今のような精進料理が確立されたのは鎌倉時代だとされています。

特に曹洞宗では調理も仏道修行ととらえ、調理の研究や工夫が盛んに行われ、技術も向上し国民の食生活や茶道などにも大きく影響したといわれます。

また、国内では725年に天武天皇が「肉食禁止令」を発布したことにより、僧侶は一切の肉食を禁止されましたが、一般庶民の間でも菜食の傾向が強くなりました。

同じ頃、日本曹洞宗を開いた道元禅師の徹底した禅林思想によって著された
「典座教訓(てんぞきょうくん)」
「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」
「正法眼蔵隋聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」
(なんだかお経みたいで読みにくいですねー)
は、日本における「精進料理」の在り方を示し、日本的精進料理 の元となりました。

この典範以降、日本の仏教界全体で「肉食禁止」の思想が定着したようです。

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精進料理と懐石料理と会席料理

安土桃山時代、千利休は、精進料理は茶と禅の心に通じる として「懐石料理」を考案し茶会で出したとのことです。

「懐石」の名は、僧が厳しい修行の中で飢えをしのぐために暖めた石を懐に抱いたことに由来するそうです。

「懐石料理」は茶道(茶の湯)において「薄茶」「濃茶」をいただく前に提供される料理のことで、あくまでもお茶を味わうための軽食です。

利休の時代、茶会での食事は「会席」「ふるまい」と記録があり、「懐石料理」と「会席料理」は同じ起源ということになります。

「懐石料理」は江戸時代になって茶道が理論化されるようになって禅宗の温石(おんじゃく)(石を温めて懐に入れるお話)に通じる「懐石」の文字があてられました。

茶道のお食事を「懐石」としてあらためて区別したのですね。

一方「会席料理」は、本膳料理や懐石をアレンジして発達したものでお酒を楽しむためのお料理であり、言うなれば飲むこと食べることを楽しむお料理です。

お料理を提供する手順や順番も違います。

「懐石料理」ではご飯と汁物は最初に提供されますが、「会席料理」ではお酒が主役ですからご飯と汁物は最後です。

現代において「精進料理」とは、「精進物」だけを使ったお料理 として、懐石料理 や 会席料理 や 一般家庭のお食事 などさまざまに登場します。

仏事では、修行はもちろん法要などで食するのは精進料理です。

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神道の「精進」

神道では神に捧げるお供物に鳥獣もありますので肉食を禁じていません。

しかし、神道では「死」は穢れ(けがれ)・不浄(ふじょう)とされています。

神職に就く者が祭祀(さいし・神や祖先を祭ること)を奉仕する時の斎戒(さいかい・祭祀に臨んで居室を別にし、衣服を改め、飲食(飲酒・肉食等)や動作(会葬・病気見舞い等)、不浄な思いや言葉などを慎んで心身を清めること)の時には四つ足の類と臭いの強いもの(ネギ、にんにくなど)を禁じられます。

また、「精進潔斎(しょうじんけっさい)」という言葉がありますが、神道の「精進」は穢れを断ち身を浄めること、「潔斎」は、水または湯によって心身を清める沐浴のこと、つまり穢れを断ち、行動言動を慎み身を浄めることですが、この期間中は四つ足以外も、すべての肉食を禁ずる とされるようです。

神道でのお葬式は「神葬祭」と言います。

「死は穢れ」であり、亡くなった方の霊魂は祖先の霊とともに家にとどまり、遺族の守り神になるとされますので、死者を送るというよりは「穢れを祓う(浄める)」という目的があります。

ですので聖域である神社では行うことはできず、自宅または一般の斎場を「祭場」として執り行います。

仏式の精進落としにあたる「直会(なおらい)」は穢れを祓う神葬祭を終え、関係者の労をねぎらい、平常に戻すという意味がありますので肉や魚を用いてもかまいません。

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