死後の世界を考える-死後の世界はあるのか、ないのか?-

budda
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死んだあとのことは死んでみなきゃわからない。
前の記事でそう書いたのですが。
書いたけれど、結局「宗教」なるものはそこをどう説いているの?

そんなことが気になってあちこち調べていましたが
何だかわかったようなわからないようなお話が多くて。
それがストン!っと腑に落ちるひと言を見つけました。

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世界三大宗教も死後の世界は「捨置記」が基本

特に決まった信仰を持たない私ですけど。

それでも基本には神道とか仏教の考え方が、なんとな~くあるみたい。
多かれ少なかれ日本人はそうなんじゃないかと思いますが。

で、やはり気になるんですよね、「死後の世界」。

だんだん近づいてきたなぁと思うし。
だって、若い頃は考えなかったですもんね。

それでまぁ、「宗教」は死後の世界をどう説くのか が
気になって気になって・・・。

するとまぁ、色々なお話は出てきます。
仏教では因果の道理にしたがって輪廻転生を繰り返す とか
神道やキリスト教では 死んだら神の元へ還る(かえる)とか。

でも、お釈迦様もキリスト様も、天照大神だって
死んだ後、この世に帰って来たわけじゃないじゃないですか。

もし、生まれ変わった人がいて、
もし、前世の記憶があったとしても
死んでた間を記憶しているとは聞いたことないし。

だから、神道や仏教ではこうですよ、と言われても
ああそうですか。 としか言えなくて
ああそうなんだ! とは思えないんですね。
その「宗教」にどっぷり浸かる気のない「無宗教派」としては。

じゃあ、どう結論するのか。
結局は人それぞれの考え方だと思うしかないのか。

まぁそれで良いのだけれど、どうも釈然としないわけです。
だって、死んでみなきゃわからない世界のことを
「こうなっているんですよ」といって見てきたような話をされても
なぁんか、胡散臭いじゃないですか。
もうちょっと、納得したいんですよね。

そうしたら、こんなことをおっしゃっている方を見つけて、
ああそうなのか!
と、なんだかとても納得してスッキリしてしまったのです。

『死後の世界や死後の来世は、「ある」か「ない」かでなく
「信じる」か「信じない」かが大切なのです。』

ああ、まぁ、そうなんでしょうね。
という感じですが、ここからです、スッキリするお話は。

世界宗教も死後の世界は「捨置記」が基本

「捨置記(しゃちき)」=捨て置いた事柄

お釈迦様は、
「死後の世界のことだとか、宇宙は有限か無限かなどを考えて
今をおろそかにするようなことがあってはならない」
と言い、仏教では死後のことについては触れていないそうです。

これを「捨置記」といい、仏教には十四の「捨置記」があるそうです。
そして世界宗教にも「捨置記」があるそうです。

「世界宗教」とは、
世界的規模でその思想が浸透し、様々な地域・民族によって信仰されている宗教。
今日世界宗教とみなされているのはキリスト教、イスラム教、仏教。
(Wikipedia より)です。

で、この「捨置記」、1200年続くお寺のご住職さんが解説しています。
以下、引用します。

およそ世界宗教とされる普遍の教えでは、死後の世界だけでなく、
今より以後の他界については、一般的に捨置記であるのが基本です。

キリスト教では「明日のことを思い煩うな。今日一日の苦労は今日一日
で足れり」としていますし、イスラム教も「おまえたちは、“私は明日
これこれのことをする”といってはならない。“もし神が望みたもうな
らば(イン、シャー、アッラー)私はこれこれのことをします”と言い
なさい」と。
明日以降のことはすべて神の領域に属することとしているのです。

「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来
は未だやって釆ない。だから現在の事柄をそのあるところに観察し、揺
らぐことなし。よく見極めて、ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん」と、釈尊は説いておられます。

このように仏教では死後の世界のことについては、“エポケー”すなわち
“判断中止”―――一切考えるなとしています。

ところが、このような仏教の基本的態度である禅のいう「莫妄想(まく
もうぞう)」――人智の及ばぬことに思い煩ってはならないということを
説かれても、一般民衆はついつい不安になってしまいます。

そこで、極楽浄土の教えが説かれるのです。
「浄土を信じる」ことで“ある”か“ない”かの問題に思い煩うことなく、
今やるべきことをしっかりやる強い心を養うのです。

だから「浄土を信じること」は、しっかり生き遂げていく上で必要であり、
人智の及ばない問題に対する心配を防ぐ、「判断中止のための信」なのです。
浄土を信じることで、死後の世界を思い煩うという無駄を省き、
今、ここに生きる強い心を養っていくのです。

東光院萩の寺住職 村山廣甫

そうか!
世界中で信仰されている主な宗教では「死後の世界」は「捨置記」なんだ!
仏教も、もともとお釈迦様の教えの中に「死後の世界」はないんだ!

「浄土」や「天国」や「神の元へ還る」のは
明日を信じ、今日を生きるための教えであって、死後の世界そのものを
説明しているわけではない、ということで良いのかな。

それなら、
宗教、宗派によって「死後の世界」が色々なのも理解できる気がします。

ホントに「死後の世界」がそうなのか、あるのかないのか、
ということではなく、信じるか信じないか であって、
それを信じて、今日を精一杯生きましょう、ということなのね。

「捨置記」。初めて聞きました。

仏教をちゃんと勉強すればもっと深いのでしょうけれど、

人間の考えの及ばないことに思い煩っていないで、今日すべきことをせよ
ということなら、自分のことを言われているようで耳が痛いなぁ。

知るすべのないことは考えたってわからない。
うん。
やはりお釈迦様はスゴイ! かもしれない!

十四の「捨置記」・・・気になります
追い追い、調べてみようと思います。

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