縄文の時代から続く祖霊信仰-神仏習合の元の元はここにあった!

縄文のヴィーナス
縄文のヴィーナス

人が亡くなるとお葬式をします。
形式に違いはあれどお葬式をしない国や民族はおそらくないでしょう。

日本では一般的には仏式が最も多く、その場合は
初七日(しょなぬか)二七日(ふたなぬか)三七日(みなぬか)・・・と
七日ごとに「追善法要」があり、七七日(なななぬか=四十九日法要)で
死者は成仏なさって「忌明け(きあけ)」となります。

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日本人の祖霊崇拝

その後は「年忌法要」といって
一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌
と続き、

三十三回忌・三十七回忌・五十回忌を迎えると「弔い上げ(とむらいあげ)」
となって、亡くなった方のご供養は終わります。

亡くなったその方をその方として(特定の誰、ということを意識して)
仏様をご供養するのはここまでで、ここから先は「誰」ということでなく
「先祖の霊」としてひとつの存在となる、これが「祖霊」であり、
この家を守り、繁栄をもたらす「守護神」として敬うのです。

「葬儀」、「追善法要」、「年忌法要」は、宗教宗派によって
内容や回数、しきたりなどが様々に違うことはありますし、
無宗教ならば亡くなった時だけの儀式で終る場合もあるとは思いますが、

誰でも、「我が家のやり方」はともかく、
この日本人の共通の習慣ともいえる 一般的な仏教行事 に違和感はないと
思います。

この 違和感のなさ が 日本の(日本人の)祖霊崇拝、祖霊信仰です。

人間であれば誰しもが「誰か」から生まれたことを否定しないでしょう。
そうして人類は命をつないで来たことに異論はないはずです。

そして大切な人との思い出はいつまでも心に留まるものです。

自分の親から前の時代の人を「仏様」「ご先祖様」として敬うとか
大切にするという心理や精神は世界共通ではないでしょうか。

自国の国民の大多数が信仰する宗教がある、という環境において
その宗教なりの習慣が 「いつも目にする風景」であれば
それがあたりまえであり、たとえ自分はその宗教を信仰しなくても
自然とその信仰に近いところに自分も居るということは大いにある
のではないでしょうか。

日本ならではの神仏習合と曖昧さ

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ただ、キリスト教やユダヤ教、イスラム教など「一神教」の場合は
神といえばキリストでありヤハウェであり、アッラーであるのです。

日本の八百万の神(やおよろずのかみ)の考え方は、
あらゆるところに、あらゆるモノに神は宿り、
自分の家を守る神様の中にはその家のご先祖様たちも混じっていて、
その区別を明確にせず、あえて曖昧なままにしているのです。

突き詰めたら矛盾ばかりですから。
説明のつかないことはムリに白黒つけないのです。

これが日本ならではの「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」です。

神仏習合とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し
一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。
(Wikipediaより)

日本の「神」への信仰は日本に人が住み始めた頃から自然と備わったもので
儒教や仏教の伝来以来、今で言う「神道」「儒教」「仏教」は互いに影響し合い
混ざり合いながら日本独自の「神道」「仏教」が育ってきたということです。

なぜ神仏習合になってしまったのかと言えば、
後々になって「仏教」「神「仏」「神道」だのという言葉が生まれ、
これは仏教、これは神道、これは曖昧 などと言っているだけで、
もともとは自然や人が生きてきた中で生まれた考え方や習慣だったからです。

そういう言葉が出来るよりもっと昔、
天皇も神も仏もない頃から「祖霊崇拝の儀式」はあったのですから。

縄文時代にはすでに祖霊崇拝があった証拠があります

縄文時代の土偶は縄文文化を特徴づける呪物であると考えられるそうです。

中期以降の立体的な土偶は、多くが女性をかたどったもので、なんらかの
女神崇拝があったらしい、とか。

また、妊娠している女性の土偶があるそうです。
専門家の研究・分析によると、裸体の女性、妊娠中の女性の土偶は
性行為への関心や性的な美の象徴ではなく、安産・多産の女神と考えるのが
自然だそうです。

女性器を描いた土器や、男性器をかたどった石の棒も見つかっています。
今でも各地にありますよね。
子宝・安産祈願の神社とかに祀ってあったり。
この頃にも同じように、こうしたものを作って祈ったのでしょう。

当時は、たぶん流産、死産も多かったし、
生まれても育つかどうかは、それこそ神のみぞ知ることだったと思います。

後期以降の死者の埋葬は、一部の、装身具がともに葬られていることがあり、
政治的な首長ないし宗教的職能者であった可能性が高いとみられています。

腰につける飾りは男性、貝のアクセサリーは女性に多く、
ヒスイなどの宝石、耳飾りは男女ともに身につけていることから、
男女のどちらもが政治的な、あるいは宗教的な ”仕事” をしていたと
考えられるそうです。

1万年以上におよぶ縄文時代。
厳しい自然と共に生き、死んでいった人たち。

自然と共に生きる人の営みの中で、自然の恩恵に感謝し、猛威を怖れ、
偉大さを崇めるのはごく当たり前のことですよね。

住居はいずれも川の近く(真水のある所)に住んだのでしょうけれど
山間部、平野部、海岸付近でその生活スタイルには大きな違いがあったと
思われます。

ただ、どこにいても狩猟や漁猟は一番大事な仕事で体力の要ることですので、
やはり家族や集落といった「社会」の中での「地位」は男が中心だったの
かも知れません。

その一方で女性は子孫を産む、男にはできない仕事をします。

そんな中で家族や集落といった人間社会の単位が出来、
秩序や階級や役割分担が作られていくと、リーダーシップを取る者と
それに従う者、対抗する者なども出てきます。

こうした中で祖霊崇拝の指導者的な立場の者や、自然を占う呪術師も
出てくるのでしょう。

縄文時代はそれまでの更に原始な時代とは大きく違って
生活様式の変化、多種多様な技術の向上にともない、人間が飛躍的に進化し
特徴のある文明・文化が栄えた時代です。

当然、すでに「日本語」を話し、「日本の文字」を持っていたはずです。

でも痕跡があまりに少なく、依然推理と憶測の域を出ないことが多いのです。

まして言葉は、録音が残っているわけではないので直接聞くことは出来ません。

でも確かにあったはず。
解明できれば、今と大して変わらない情報のやりとりやおしゃべりをしていた
と思うのです。

縄文時代の祖霊崇拝や実際の生活には大変興味深いものがありますね。
引き続き専門家さんたちの書籍やレポートを追いかけてみようと思います。

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