ハチ公が渋谷から秋田にお里帰り? 戌年にますます注目、ハチ公移転計画

渋谷忠犬ハチ公
渋谷忠犬ハチ公

今や「世界の渋谷」のシンボルになったハチ公。
駅西口に工事が及ぶ2020年〜2027年頃の約6年間、ハチ公をどこに「避難」させるか
ハチ公の生まれ故郷である秋田県大館市は「秋田に里帰りを」と期待しているとか。

JR渋谷駅前の「忠犬ハチ公像」が現在の場所に移ったのは平成元年、今年で30年目。
渋谷は100年に1度とも言われる大規模な再開発工事によって日々変化していますが
2027年頃には駅西側の「ハチ公広場」も1.5倍の広さとなって様変わりするようです。

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必ず新しいハチ公広場に帰ってきます

今の渋谷駅周辺は、巨大な繁華街なのに鉄道や高速道路などで東西南北に分断され、本当に使いにくくて歩きにくい状況であることは確かです。

なんたって坂の多い街ですからね。
宮益坂、道玄坂、スペイン坂、オルガン坂、金王坂・・・坂道だらけです。
焼け野原からだんだん街になってゆく過程でも整備しにくかったのでしょうねぇ。

でもこれをなんとかしないといけない、というのは素人でも思うこと、今は大掛かりな工事中でさらにうっとおしいことになっていますが、仕方ないですね。
完成までのガマンです。

といっても駅周辺全体の再開発が終わるのは2027年の予定ですって。

あと、約10年?

う〜〜〜〜ん・・・。

10年後に渋谷を闊歩して楽しむのは、私にはちょっとキツイかもしれないなぁ。

おじさんやおばさんが休憩出来るところをたくさん作って下さいね!

今現在、ハロウィーンとかサッカーのワールドカップとかクリスマスだ年末だ年始だとワサワサと集まってブイブイ言ってる若者や外国人たちは10年後の渋谷でも同じように大騒ぎするのでしょうかね?

それはさておき、
この工事がハチ公広場に及ぶのは2020年の東京オリンピック・パラリンピック後から2027年までの約6〜7年、この間、ハチ公はどこに居てもらうか、の話なんですね。

ハチ公広場の工事が終われば、「新しい広場の一番良い場所」に戻す。
とハチ公の所有者である渋谷区のご担当者さんはおっしゃっているそうです。

ハチ公はどこに行きたいでしょうね・・・?

ハチ公も工事期間中はどこかに移されることはやぶさかではないでしょうけど。
もうずっと長いこと渋谷に居ますもんね。
少なくとも渋谷のどこか、出来れば駅の近くに居たいのではないでしょうか・・・。

ハチ公は待ち合わせの目印、渋谷のアイドル、みんなのマスコットですから。

「渋谷にハチ公が居なくなったら待ち合わせはどうすればいいの?」

「いつも混み過ぎててなかなか会えないけどやっぱりわかりやすいのはハチ公広場」

外国人観光客の写真スポットでもあり、みんなちゃんと順番に記念撮影しています。

「外国人も日本人もみんな写真撮ってる」

「外国人は渋谷のスクランブル交差点とハチ公が好き」

ハチ公も、なにかと人にかまわれてウルサいけど賑やかな渋谷が好きなんじゃないかなぁ?
それとも一度は生まれ故郷に帰ってみたいかな?

生まれ故郷の大館市に里帰りも良いかも・・・?

大館市の福原淳嗣市長は、
「市民の誰もが一度はハチ公像に故郷に錦を飾ってほしいと願っている」と言います。

戌年を迎え、地元秋田犬保存会会長も
「都会の喧騒を離れ、田舎の空気を吸って休んでほしい」と言っています。

また、大館市は「ハチ公の駅(仮称)」を建設予定、この春着工、2019年完成予定だそうです。
「2代目渋谷駅」として1920年の渋谷駅の木造駅舎とハチ公像、秋田犬やハチ公の資料を展示するミュージアム、物産館などが出来るとか。

大館市には大館駅前の銅像、秋田犬会館前の銅像(望郷のハチ公像)、ハチ公生家前石像などハチ公像がいくつもあるほか、
ハチ公慰霊祭(4月、大館駅前にて開催)、ハチ公生誕祭(10月第二日曜日)などハチ公にまつわる行事もあるのです。
大館市ホームページはこちら

ハチ公の秋田里帰りについては、渋谷の関係者も
「地域振興に役立つならハチも喜ぶ」「新しい物語が生まれる」
と前向きな意見もあるそうです。

その間は「ハチ公はただ今散歩中」として「ホログラムでハチ公像を立体的に投影するのも渋谷らしい」と色々なアイディアも出ているみたいです。

ハチ公広場の工事がもう少し具体的になったら、もっとたくさんのアイディアが出てくるかも知れませんね。

ハチ公像はどうして渋谷にいるの?

ハチ公は1923年(大正12年)11月10日に秋田県二井田村(現大館市)で生まれたオスの「秋田犬(あきたいぬ)」。

秋田犬

秋田犬

東京大学農学部の教授・上野英三郎が秋田犬の仔犬を飼いたいと望んだことがきっかけで、正後間もない1924年1月、米俵に入れられて20時間の列車の旅をして上京しました。

飼い主の上野先生は、それはそれはハチを可愛がり、ハチも上野先生が出掛けるときには玄関や門でお見送り、時には渋谷駅まで送り迎えをしたそうです。

でも、その翌年・1925年5月、上野先生は脳溢血で亡くなってしまいます。
ハチは度々上野先生の関係者に預けられますが、どこに行っても渋谷駅に訪れ、上野先生を待ち続けるのです。

みすぼらしい風体のおとなしいハチは道行く人にいじめられたりいたずら書きされたり散々な目に合います。

見かねて、日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉さんが1932年(昭和7年)、ハチの主を待つ姿を新聞に寄稿したことで一躍有名になり、「ハチ公」と呼ばれ大切にされるようになります。

1933年、斎藤弘吉さんの知人で彫刻家・安藤照さんがハチの銅像を作りたいと希望し、日本犬保存会からの依頼でハチの像製作が決まりました。
1934年、日本犬保存会は銅像建設の資金集めも開始、鉄道諸官庁も後援し、4月完成、渋谷駅前に設置されたのです。

この除幕式にはハチ自身も参列、300人もの著名人が参加したそうです。

そうして10年、年老いて病気も患い、それでも渋谷で上野先生を待ち続け、渋谷駅近くの川で死んでいるのを発見されました。
銅像が出来た翌年、1935年(昭和10年)3月8日のことです。

渋谷駅で行われたハチの告別式は上野先生の妻初め関係者のほか多くの人が参列し、僧侶16人が読経したほか、花環、生花、手紙、電報、香典など多数寄せられ、人間さながらに盛大な葬儀が行われました。

ハチは上野先生と同じく青山霊園に葬られ、お墓も上野先生のお墓の隣に立てられました。

死体は上野先生の勤務した東京大学農学部で病理解剖されました。
また、剥製にもされ、東京上野の国立科学博物館に所蔵されています。

上野教授とハチ公の墓

上野教授とハチ公の墓

ハチ公像は2代目。初代は終戦間際に国に「供出」

安藤照さんが作った初代ハチ公像は
1934年の完成から7年後の1941年(昭和16年)、戦時中の金属物資不足が深刻化し施行された「金属類回収令」によって供出するよ東京鉄道局から通達されました。

ハチ公像を作る資金集めの後援をしてくれたのに!!

と思ったでしょうね。

斎藤弘吉さんも安藤照さんも、断固阻止すべく抵抗、抗議活動をしたり、その分の金属は他から捻出するから、と申し出たり、頑張ったのだそうです。

それでもそういう時代に、一番目立つ駅前の像が供出されないのは体裁が悪い、ので表向き撤去して預かるから、ということで一応決着したものの、事実上の供出であったことは承知せざるを得なかったのでしょう。

1944年10月、戦争が終わるまで、ということでハチ公の「出陣式」が行われ、
1945年(昭和20年)8月14日、なんと終戦の日の前日、ハチ公像は溶解されたのです。

その後、1948年、安藤照さんのご子息・安藤士(たけし)さんによって今の2代目ハチ公像が作られました。
戦後のモノのない時代、父・安藤照さんの遺品「大空に」を溶かして作ったそうです。

忠犬ハチ公の物語は戦前から外国にも知られていて、再建のときにはGHQも協力したそうです。

負けるとわかっていた戦争、それでも終戦間際までハチ公像までも溶かした日本軍。
「忠犬ハチ公物語」は、さぞ「お国のため」の意識を高めただろうとも想像するとやるせないですね。

ハチ公の没後80年にあたる2015年3月8日、東大農学部に、上野先生とハチ公の像が建てられました。

上野教授とハチ公

上野教授とハチ公

この除幕式はアメリカでもいくつかの新聞社が記事を掲載し、これに目をとめたニュージャージー州のペット霊園のオーナーは、この像の複製を霊園に置きたいと大学側に申し入れ、1年がかりで許可を得ました。
⇒アビー・グレン・ペットメモリアルパーク

戌年にあらためて思う、これからもハチ公は「世界の渋谷」のシンボルです

ハチ公像は長〜〜い年月、ずっとみんなに愛されてきました。
初代設置から84年、2代目設置から70年。
多くの人に触られ、なでられ、乗られ・・・部分的にすり減ってテカテカに光っていたりします。

それほど多くの人に愛されて、可愛がられて大切にされてきたハチ公。
最初から渋谷のランドマークだったハチ公は、今だって渋谷になくてはならないランドマークです。

どんなに街が変わろうと、高いビルが出来ようと、あんなにちっちゃいハチ公だけど
それはきっと、ずっと、変わらないんです。

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