【西郷どん】 薩摩のやっせんぼの正義はこれからどう描かれる?

上野の西郷さん
上野の西郷さん

「西郷どん」第2話、農民のために腐心し駆けまわる吉之助がエネルギッシュです。
「やっせんぼ」は鹿児島弁で「やっせん」役をしない「ぼ」坊、つまり役立たずという意味。
貧しい農民たちを目の当たりにして、どうにも役立たずの自分を嘆き号泣する吉之助。

自らも貧しい下級武士でありまだまだ駆け出しの半人前。
オトナの事情やこの世の現実を垣間見ながら、辛さ悔しさをバネにして成長する1人の青年が
これからどんな運命をたどり「西郷隆盛」になってゆくのか、期待の高まる第2話でした。

スポンサーリンク

西郷どん 第2話のあらすじ

18歳になった西郷どん。早くも鈴木亮平さんの登場です。
元服して幼名「小吉」から「吉之助」となり、「郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)」というお役目についています。

「郡方書役助」は、市役所農政課の事務補佐(というか見習い) ってところですね。
藩内の農家を1軒1軒視察したり、年貢(税金・この時代は主にお米)の徴収も手伝います。

農民はみな重い年貢に苦しんでいました。

農作物は稲に限らず豊作・不作はその年によって違いますが、
江戸時代中期以降は収穫量によって年貢率が変わる「検見取(けみどり)」(検見法)では税収が一定しないリスクを避け、「定面法(じょうめんほう)」が採られていました。

定面法で納める年貢米が足りないと、農家はその分借金をしなければなりません。
大豊作が続くようなことでもない限り借金は増え続けます。

多くの農民は稲作をしながら自分たちは白い米を口にすることもなく、つっかえ棒に屋根がのっているだけのような掘っ建て小屋で着の身着のままでなんとか生きているありさまです。

吉之助の家は下級の武家で大家族。
子供までもが毎日なにかしらの内職をしています。

領内の農民が納める年貢で家臣の武士たちのお給料(米や現金)も決まりますが、最下級武士の吉之助にはわずかな現金が支給されます。
お父さんも似たようなものでしょう。

だから吉之助の家だって極貧生活、それでもお手当(給金)が支給される日は弟や妹達が美味しいものが食べられると楽しみに待っています。

ある日、吉之助が農家をまわり、天候不順で稲の育ちが不良なのをがっかりして見ていると、まだ幼い農家の娘ふき(柿原りんか)が借金のカタに連れ去られようとしています。

吉之助はいただいたばかりのわずかな給金と、ついさっき隣でワイロをもらっていた上司の、そのワイロを強引に奪い、借金取りに渡してふきを助けます。

家に帰るとまた人助けか、と家族じゅうに怒られ呆れられますが、そんなことより重い年貢で食うや食わずの農民が心配です。

農民の現状も考慮せず重税をかけることは農民を死に追いやるも同然、農民が死ねば薩摩が潰れると心を痛める吉之助。
新米の下っ端のくせに部長級?の上司に掛け合い、年貢を「検見取」にしてくれるよう懇願します。

また、薩摩藩主島津斉興の嫡男・斉彬が藩主になれば農民の苦難をわかってもらえると考え、郷中(ごじゅう)の先生・赤山靭負(あかやまゆきえ)に斉彬に会わせてくれるよう頼みます。

赤山先生は薩摩藩の重臣であり、父は島津家の分家の当主であり、斉彬のおそば近くにお仕えしています。

赤山先生は斉彬が江戸に帰る時にひと目会えるようにするから手紙を書け、と言ってくれました。

早朝、斉彬に手紙を渡すために家を出た吉之助は、またもふきが連れ去られると聞き、一瞬ためらうも手紙を懐に突っ込み駆け出します。

1度はふきを助けることの出来た吉之助でしたが、もう助けることは出来ず、地面に突っ伏して悔し泣きするしかありませんでした。

西郷どんは自らも底辺にいて、これからも山ほど底辺の苦しさを見たり味わったりするのでしょう。

どげんかせんといかん と言ったのは元宮崎県知事の東国原英夫氏ですが、西郷どんもこれ以降常に どげんかせんといかん と思って走り続けるのでしょう。

島津斉彬は薩摩藩主の嫡男でありながら跡継ぎは側室の子・久光推しの状況の中どのようにして薩摩藩主となるのか、西郷どんの想いをわかって道を開いてくれるのか。

第3話に期待です。

「西郷どん」は戊辰戦争当時の西郷隆盛をどう描くか気になる

心優しくフットワークの軽い熱血漢、自ら困難に立ち向かうヒーロー西郷隆盛。のイメージが出来ましたね。

右腕の腱を切る大怪我をして剣術を極める道をあきらめた吉之助ではありましたが、後に薩摩藩主となった島津斉彬に取り立てられて以後どんどん出世します。

西郷隆盛は、第2話に登場した瑛太さん演じる幼なじみの大久保利通木戸孝允と並んで「維新の三傑」と呼ばれるほどになるのです。

幕末から明治への時代の転換は新しい日本になるための「正しい変革」だと思われていますが、その実、日本を二分しての大戦争でした。

1853年の黒船来航から戊辰戦争に至るまで、そして西郷が西南戦争で撃たれ自決する49歳まで、戦争ばかりです。
無意味で無益な殺戮が各地で果てしなく繰り返されます。

特に戊辰戦争で大敗し、極寒の斗南藩に移住した会津藩の悲劇は、忘れてはならない日本のつらい歴史のひとつです。

悲劇は会津藩だけではないけれど、今回の西郷どんを観ながら、つい会津藩の庶民、老人までもが戦う姿、女も子供も自決する惨状、白虎隊の悲劇を思わずにいられませんでした。

2013年、やはりNHK大河ドラマ「八重の桜」では綾瀬はるかさん演じる八重が、まさに「幕末のジャンヌ・ダルク」そのものでとても素敵でしたが、現実は想像を絶する悲惨な戦争とその結末です。

綾野剛さん演じる松平容保の優柔不断さ、打つ手の遅さにやきもきしましたが、攻める側であった西郷隆盛は「西郷どん」でどのように描かれるのか、そんな場面はナイのか、興味深いです。

戊辰戦争終結後、会津藩をまるごと下北半島に”流罪”を強硬に主張したのは木戸孝充(桂小五郎)だといわれますが、他の首脳陣、板垣退助、岩倉具視、山縣有朋、大久保利通、西郷隆盛は何をしていたのか、戦争の経緯と状況、終結のありさまをどこまで把握し理解していたのか。

幕末に巻き起こる”新しい日本構想”の重要人物としては、高杉晋作、坂本龍馬、勝海舟など有名ドコロの日本のヒーローが大勢関わってきますが、彼らは本当は何をしたのか。

曲がったことがキライで情に厚く農民思いの熱血漢・西郷隆盛が場面場面でどう描かれ行動するのか。

「西郷どん」第二話の吉之助の純粋さ、一途さ、正義は若さゆえなのかもしれません。
大人になると変わってしまうのでしょうか。

シラス台地で稲作の向かない鹿児島といえど、温暖な気候で琉球や長崎という貿易が盛んな地域が近くにある鹿児島。

厳しく長い冬を耐えて暮らす北の人々とは「貧しさ」の違いもあったのではないかとも思います。

「明治維新」の現実は、本性は、明治維新とは結局何だったのかを考える時、「西郷どん」の西郷隆盛の描き方はとても大きな関心事なのです。

【西郷どん】前の記事
【明治維新】の記事

スポンサーリンク