幕末の海外留学は密航?世界を見たい!命を懸けた日本人-明治維新4-

勝海舟、サンフランシスコにて
勝海舟、サンフランシスコにて

幕府の命を受けた勝海舟・ジョン万次郎・福沢諭吉は海外留学・海外派遣です。
長州五傑(長州ファイブ)・五代友厚・新島襄は命がけの密航です。

交易国に暮らし、交易国の実情を自らの目で見、学び、吸収しました。
海外から持ち帰った「世界の常識」は、少しずつ、「攘夷」の考え方を変え、
日本のあり方を変えてゆきました。

ペリーが黒船で浦賀にやって来て開国を迫り、不平等な条約を締結させられた。 井伊直弼が朝廷のお許しを得ないまま調印して300年の鎖国が終わっ...
「尊皇」「攘夷」「夷狄」「開国」。幕末の混乱期に生まれた言葉です。 朝廷、幕府、武士、商人、農民はそれぞれの立場で何を思い、どこを見ていた...

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徳川幕府の苦悩

欧米列強が圧倒的な暴力で世界を蹂躙している中、
徳川幕府は、植民地にされる前にこっちから開国して、諸外国と交易をしようという史上最大の事業に挑みました。

ペリー来航で朝廷や諸藩主もまあまあ納得する「日米和親条約」を結び、
ハリス来航ですったもんだの中まあまあ好条件で「日米修好通商条約」「安政の5カ国条約」を結んだ幕府でした。

1859年からアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの交易が横浜・長崎・箱館の3港で貿易が始まります

日本の輸出品は主に生糸、茶、蚕卵紙など、
輸入品は主に綿・毛織物、砂糖、艦船、武器類でした。

しかし朝廷の勅許を得ずに通商条約を結んだことで孝明天皇の逆鱗に触れました。

結果、朝廷との関係は最悪になります。

「尊皇攘夷派」の反発は激しさを増し「異人斬り」と呼ばれる外国人殺傷事件が多発。

最高責任者の大老井伊直弼は暗殺され(桜田門外の変)、後任の老中安藤信正も襲われ負傷(坂下門外の変)。

「生麦事件」でイギリス商人が死傷し、その報復で「薩英戦争」が勃発し薩摩藩は善戦するも鹿児島市街地を消失、全砲台が大破しました。

長州藩は急進尊攘派の公家と結び京都で暴走、テロ行為を多発し「禁門の変」(蛤御門の変)を引き起こし、一方で馬関海峡を封鎖、アメリカ、フランス、オランダ艦船に砲撃(「下関事件)」)、この報復にイギリス、アメリカ、フランス、オランダの四国連合艦隊に長州・下関を攻撃され惨敗します(「下関戦争」)。

幕府はこれら外国との事件についてことごとく多額な賠償金を支払わされた上に5カ国との通商条約の改定を余儀なくされ、「不平等条約」となったのです。

列強相手に「攘夷」がいかに無謀かを知った日本

欧米諸国は薩英戦争、下関戦争で圧倒的な軍事力を見せつけ、日本に攘夷がムダであることを知らしめました。
と同時に日本を侮るべきではない、彼らは勇敢であり西欧式の武器や戦術にも予想外に長けていて、降伏させるのは難しい、と評しています。

日本も「鎖国」や「攘夷」がいかに無謀で不可能なことかを知り、西洋のことを学ぶべきだと思い、あらためて「開国」の必要性を痛感するのです。

攘夷の嵐の中、幕政は混乱を極めましたが、それでも徳川幕府は多くの使節団を外国へ派遣しました。

こうなると薩摩藩や長州藩はもちろん、諸藩の有志ほど海外を見ずにいられないのは当然で、すかざず行動に移します。

しかし、1866年に幕府が海外渡航禁止を解くまで、幕府が派遣する以外の外国行きは法律違反です。
行くとなれば「密航」ですが、それは並大抵のことではありません。
皆、密航の罪が藩や家族に及ばぬよう名前を変えたり脱藩して、命がけで海を渡りました。

こうして海外に渡った人たちは、時には命の危険にさらされながら、人種差別に耐えながら語学、技術、法律、政治、経済などなど多くのことを学び、幕末の日本と明治維新の舵を取り、その後の日本の発展に大きく貢献します。

通商条約締結から渡航解禁までの主な渡航歴

幕府の海外派遣と海外留学

1860年2月、アメリカのサンフランシスコへは「日米修好通商条約」の批准書を交換するために総勢77人の正使節団がアメリカの軍艦ポーハタン号に乗り込みました。
7月にはアメリカのナイアガラ号に乗り、インド洋経由で11月に帰国します。

その護衛に、オランダから購入した「咸臨丸」には総勢96人、船長は幕臣勝海舟、通訳としてジョン万次郎、使節には福沢諭吉もいました。

幕府は日本人だけでの航海を不安に思い、アメリカの海軍し11人を同乗させましたが、多少助けてもらいながらもそこそこの技量を発揮し、ポーハタン号より少し早くサンフランシスコに到着したそうです。
5月、咸臨丸はポーハタン号の正使節団より先に帰国しました。

1862年1月、ヨーロッパ使節団はイギリスから提供されたフリゲート艦で香港ーシンガポールーセイロン島を経由しながらマルタ島で船を乗り換え、マルセーユからフランスに入り、次にイギリス、オランダ、プロイセン(ドイツ)、ロシア、ポルトガルを訪問します。

このヨーロッパの旅の目的は、日米通商条約で約束した兵庫・新潟・江戸・大坂の開市開港の最大限延期を要請し、その承認を得ることでした。

1858年の通商条約によって始まった貿易は大幅な輸出超過になり、そのために国内の供給不足を招いて物価が騰貴。
武士や庶民は生活難に陥り、それが攘夷運動やテロの引き金になっていたのです。

ヨーロッパ使節団は1863年1月、フランス軍艦で横浜に帰港しました。

1862年、幕府がオランダに注文した「開陽丸」の製造管理を担う一行として15人の留学生が送られます。
軍艦建造技術、航海技術とともにさまざまな技術、知識を吸収するためです。
この中に、後に函館に政権樹立を図る榎本武揚がいました。

1864年2月、3回めの海外派遣はフランスです。
前の年に将軍家茂は、孝明天皇に通商条約破棄を約束させられましたが、締結したばかりの条約破棄など出来るはずもなく、せめて最大の貿易港である横浜港を「閉鎖」することでお茶を濁そうというアイデアでしたが、当然のことながら決裂して帰国します。

1865年、横須賀製鉄所の設立準備のため、外国奉行をフランスとイギリスへ。

1865年、ロシアに6人の留学生を派遣。

1866年、樺太国境画定交渉のため、箱館(函館)奉行をロシアへ。

1866年、イギリスに14人の留学生、監督者は中村正直、留学生に後の東大総長外山正一がいました。
翌1867年7月、名門ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンに入学した時にはすでに長州、薩摩の留学生がいて驚いたでしょうね。

1867年、パリ万国博覧会に第15代将軍慶喜の弟・ 昭武 一行をフランスに派遣、万博後にイギリスを訪れます。
幕府がパリ万博参加を決めた時、士農工商の隔たりなく誰でも出品できるとし、佐賀藩、薩摩藩と商人の瑞穂屋卯三郎が出品しました。

諸藩の海外派遣と海外留学

1863年5月11日、馬関海峡(下関海峡)を封鎖しアメリカ、フランス、オランダ艦船を砲撃(下関事件)した長州藩ですが、一方では、5月12日、後に「長州五傑」(長州ファイブ)と呼ばれる5人(井上聞多(馨)遠藤謹助山尾庸三伊藤俊輔(博文)野村弥吉(井上勝))を乗せた船が横浜からイギリスに向けて出航しました。

協力したのは駐日イギリス領事エイベル・ガウワーと、イギリスのジャーディンマセソン商会、それにジャーディンマセソン商会の日本長崎支店であるグラバー商会でした。
イギリス滞在中の世話役はジャーディンマセソン商会ロンドン社長です。
この留学で、日本の攘夷などは不可能だと痛感します。

1864年3月、5人は「四国連合艦隊」が長州を襲撃する計画があることを知り、伊藤博文と井上馨の二名は急遽帰国、列強相手に戦うことの無謀さを説きますが聞き入れられず、8月に本当に襲撃された長州藩は惨敗、これによって長州藩は攘夷から開国へと転換します。

1863年8月の「薩英戦争」で手痛い攻撃を受けた薩摩藩
イギリス軍の捕虜となった五大友厚は罪人扱いとなり長崎に潜伏、この時にグラバーと懇意になり、薩摩藩主にイギリス留学を上申していました。
薩摩藩が留学生を派遣したいと申し出るとイギリスはびっくりしますが、戦争で負けた相手から学ぼうという姿勢に感心し、協力します。

1865年、薩摩藩はグラバー商会所有の蒸汽帆船で19人をひそかにイギリスに派遣しました。
メンバーは13歳から33歳までと幅広く、五代友厚、松木弘安(のち寺島宗則)森有礼が含まれていました。

イギリスではロンドン大学の一校である名門ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンで学びますが、すでにここで学んでいた長州藩の留学生と出会い、親しくなります。

1866年には海軍軍事技術を習得するために8名をアメリカに派遣します。

幕末の佐賀藩主は早い段階から西洋文明の導入に取り組んでいました。
1865年、3名の藩士がグラバー商会所有の帆船チャンティクリーア号に密かに乗り込み、イギリスへ渡りました。

上州(群馬県)安中藩の新島襄は、キリスト教に強くひかれ、函館で英語やキリスト教を学び1864年、アメリカ船で密出国し上海へ行き、渡米の願いを聞いてくれた人々に助けられ、1年がかりでボストンに到着します。

その後キリスト教の洗礼を受け、1867年、マサチューセッツ州の名門・アマースト大学に入学し、日本人として初の学士号をとり、神学校にも進み、10年後に帰国します。

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