鳥羽伏見の戦いで戊辰戦争開戦、薩摩は完全に倒幕へ-明治維新8-

錦の御旗
錦の御旗

鳥羽・伏見の戦いは戊辰戦争の始まりとなった戦争で、薩摩・長州が倒幕のために仕掛けました。

西郷たちがクーデターまで起こした「王政復古」のあとも相変わらず政権を握っているのは徳川慶喜です。
徳川主導では何も変わらない。西郷はついに戦争を仕掛けたのです。

日本史上最後の将軍となった慶喜は内乱を避けるため「大政奉還」を行い、西郷・大久保・岩倉の「王政復古」クーデターによって強引に新政府が出来、9...
鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は、幕末から明治にかけての数多くの戦争の総称ですが、新政府軍の敵、徳川と会津を征伐する戦争にほかなりませ...

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倒幕に燃える西郷、鳥羽・伏見の戦いで勝利

薩摩の西郷、大久保は窮地に立たされます。
あれほど周到に、クーデターまで起こして、徳川幕府主導の体制を崩せるはずだったのに!
気付けば議定職に就任した慶喜が実権を握り、自分たちは王政復古新政府の中でも孤立しているのです。
なんということ!

西郷、大久保が本当に恐れたのは、慶喜の議定職就任そのものでなく、その後におこるであろう事態、つまり”慶喜政権の基盤拡大”です。

優れた政治手腕を持つ慶喜なら必ずやってのけるであろうこと、このままなし崩し的に進めば、結局旧態依然とした体制に逆戻りしてしまうのではないかと、恐れたのです。

西郷・大久保 孤立する

西郷・大久保は新政府の「下の参与」として忙しく働いていました。
その勤務状況は激務であり、過酷だったようです。
薩摩藩の中でも孤立していた二人は、新政府内でも孤立していたばかりか、クーデターに協力した諸藩の面々さえも彼らを排除するかのような行動があったそうです。

例えば

議定に就任した容堂は、当時、諸藩士からなる「下の参与」を排除して、宮や公家、それに藩主クラスからなる議定の手に権限を限ろうと、さかんに画策していた。
そのような動きを苦々しく思っていた西郷・・・

国元にいた藩主の松平茂昭に宛てて送られた父松平慶永の書簡には、大久保と西郷の両名が諸藩の憎しみを一身に浴びる存在であること、この両人が薩摩藩を代表して独断的な言動をなしていることを批判する文言が綴られていた。

(家近良樹著 「西郷隆盛」より)

という具合で、二人はひどく疲れ、いら立ち、窮地に追い込まれていたようです。

そんな中でもまだ、西郷自身は武力倒幕を決意していたわけではなさそうです。
大久保は、あるいはこの頃、武力を以て倒幕すると考えていたのかもしれません。

江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件、飛んで火に入る冬の虫

その頃江戸では、江戸市中の浪人どもが暴行の限りを尽くし、旧幕府はことごとく薩摩藩浪人の仕業と見ていました。

それはどんどんエスカレートして、江戸市中の取り締まりを幕府から任ぜられていた庄内藩兵の詰所に発砲したり、江戸城二の丸からも火が出て全焼しました。
江戸城には薩摩から徳川家に嫁ぎ第13代将軍徳川家定の御台所になった天璋院篤姫が住んでいたので、篤姫を奪おうとする薩摩の仕業とされました。

そんなわけで江戸市中には薩摩に対する憎しみが広がっていました。

そしてとうとう庄内藩士が三田にある薩摩藩邸を焼き打ちする事件が勃発。
1867年12月25日のことです。

慶喜が必死におさえていた旧幕府の将兵、会津藩兵が、これをきっかけに薩摩を討伐せよと勢いづき、大事件に発展します。

大阪にいた慶喜は・・・
本来は血なまぐさい争いごとが大嫌いな慶喜でしたが、もう反幕府派の暴力と、対抗してエスカレートする旧幕府側の武士たちを止めることはできません。

老中板倉勝静に聞きます。

「徳川の譜代、旗本の中に、西郷隆盛や大久保利通に匹敵する有能な奴はいるのか?」

板倉が答えます。

「いいえ、いません・・・。」

もう戦の他にコトを収める手立てはない。

慶喜もいよいよ抑えきれず「討薩の表」(薩摩の「奸臣(かんしん、主君に対して悪事をたくらむ家臣)どもを「誅戮(ちゅうりく、罪をただして殺害)」しなければならないとする文書)を発します。

集結した旧幕府軍は会津・桑名藩士も合わせ1万5千、「討薩の表」を携え、とにかく上洛しようと京都御所へ向けて出発します。

江戸の薩摩藩邸焼き討ちは、京都の西郷・大久保にも想定外の事件、驚きとともに原因とされる薩摩藩の責任を追及されることをまず恐れました。

大久保も同じ心境だったことでしょう。
二人はめまぐるしく善後策を思いめぐらし、
そして決意するのです。

慶喜が上洛して薩摩の責任追及をし大問題となる前に、先制して武力倒幕を行う。

これは降って沸いたチャンス!


西郷は、「これで倒幕の名目がたちもうした」と言ったといわれます。

何がなんでも潰したい、「会桑」と慶喜と旧幕府。

ここで一気に潰す!!

薩長軍は5千程度、数ではかないませんが西洋の最新兵器は豊富に取り揃えていました。

鳥羽・伏見の戦い勃発! 西郷は「錦の御旗」を翻す

京都御所を目指す旧幕府軍でしたが、慶喜はいきなり戦争をするつもりはありません。
むしろ臨戦態勢で向かってはいけないと釘をさしていました。
まずは朝廷から「討薩の表」の勅許を得るつもりだったのです。

1868年1月3日、旧幕府軍が鳥羽街道の関門にさしかかると薩摩藩兵が封鎖しており、通行を求めると京都から許可が出るまで待つようにと言います。

通せ通さぬの押し問答のうちに薩摩藩兵が先制攻撃を仕掛けました。

いきなり戦闘開始とは思っていなかった旧幕府軍が奇襲を受けた形で戦闘になだれ込みます。

一方、伏見街道でも通行をめぐって問答しており、鳥羽方面から聞こえた銃声が合図になりました。

緒戦から苦戦を強いられた旧幕府軍でした。

初戦で大勝したとの報告を受けた西郷は歓喜しました。
西郷は生来「戦さ好き」です。

こうなると居ても立っても居られず、対朝廷やら何やらの一切を大久保に任せ、自分は戦場へと出かけてゆきます。

西郷は次々と作戦を立て、大久保に追討将軍の任命と「錦旗」の手配を頼みます。

2日目、新政府軍営に「錦旗(きんき、天皇から渡された錦の御旗)」が掲げられ

この瞬間から新政府軍が「官軍」旧幕府軍は「賊軍」となったのです。

誰も見たことのない「錦旗」、ニセモノだってわかる人はいません。

あっけにとられたのは旧幕府軍。

え?

今の今まで日本を担ってきた幕府、御所を守り、朝廷を守ってきたこっちが、ぞくぐん??

え?
ええ〜〜〜〜??

そりゃもうびっくり、青天の霹靂とはこのことです。

慶喜、将兵を置き去りに敵前逃亡

大阪城にいた慶喜は徹底抗戦だと言って将兵に檄を飛ばしながらも、開戦から4日目の夜、会津藩主・松平容保 、桑名藩主・松平定敬 、老中・板倉勝静らを連れ、船で江戸に向かってしまいます。

「錦旗」が翻り、朝敵となることを恐れて逃げ出したのでした。

ちょうどこの時、オランダから帰国した旧幕府の幕臣・榎本武揚が戦況劣勢を知り、開陽丸で大阪に入り、大阪城に向かっていました。
入れ違いに慶喜はこの開陽丸で江戸に帰ったのです。

榎本武揚が大阪城に着くとすでに主君慶喜はおらず愕然とします。
かわいそうに・・・。

慶喜の逃亡にはもうひとつ重要な事実がありました。

錦旗によって圧勝した新政府軍でしたが、西郷はあの難攻不落の大阪城に徳川軍が籠城することを心配していました。

慶喜が一万五千近い旧幕府軍を持って大阪城にいるのです。
しかも大阪湾には日本で最強の榎本の艦隊がいて、物資食料の運搬経路としても重要な拠点を包囲されています。

少数の兵で軍資金もない新政府軍、戦が長引けば逆転されます。

そこで西郷はイギリスのパークスに
「内乱が長引けば中立を保っている諸外国軍が乗り込むぞ」
という内容の書簡を書いてもらい、部下から慶喜に届けさせたのです。

そうなればスランスは幕府支援をするだろうこと、諸外国が介入したあとのことを考えた慶喜は早々に退散したのでした。

こうして鳥羽・伏見の戦いは旧幕府軍がなんと賊軍となって惨敗。

旧幕府軍の準備不足、薩摩藩の不意打ちによる指揮系統の乱れ、錦旗によって淀藩、津藩が寝返ったことなどが敗因とされます。

会津藩兵は800人のうち500人が討ち死にしたそうですが、この時の会津藩の戦いぶりは後世に語り継がれるものとなりました。

朝敵となることを恐れ、家臣を残し敵前逃亡した慶喜は後々まで汚名を残しますが、慶喜が恐れたのはこれ以上戦うことで様々な問題を引き起こすことだったとする説が真実ではないかと思います。

  • 「朝敵」=「逆賊」となった旧幕府軍の敗北は決定的、無駄に命を落とすことになる
  • 「官軍」「賊軍」の、いわば日本が2つに分かれた内戦が続けば欧米列強の干渉や侵略を招く

絶対的な勤王である慶喜は、確かに錦旗に歯向かうことは絶対に出来なかったし、戦争では何も解決しないことを痛切に思ったのではないでしょうか。

でもこの人の悪いところは、なんの根回しもアナウンスもせず決断したことをいきなり実行してしまうところです。
だから誤解されるし、反感を買ってしまうんですよね。
ものすごく頭の良い人で、先の先まで考えて行動するけど皆はついて来れない、そんな感じがします。

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