
拾い過ぎ -正直者は得をするー真面目な男の立身出世のお話
むかしむかし、江戸は青山に門奈助左衛門というお金持の武士がおりました。その家来にたいへん真面目で正直者の男がありました。年の暮れも押し詰まった十二月二十八日、男は主人のお遣いで、浅草の蔵宿(くらやど・当時の武士専門の金貸しのような所)に行って五十両のお金を受け取りました。
やはり気になるんですよね。「ご先祖様」 「死後の世界」「仏」「神」「伝説」「英雄」「激動」、こういうモノやコトが。
むかしむかし、江戸は青山に門奈助左衛門というお金持の武士がおりました。その家来にたいへん真面目で正直者の男がありました。年の暮れも押し詰まった十二月二十八日、男は主人のお遣いで、浅草の蔵宿(くらやど・当時の武士専門の金貸しのような所)に行って五十両のお金を受け取りました。
山父は一つ目一本足の日本に伝わる妖怪。山爺(やまじじい)、やまんじいと呼ぶ地域もある。人の心を読む(さとる)。その大声は天地を震わせ、岩を動かすと言われるそうな。
とりの王者と豪語する鷹の仲間が集まって酒盛りをしていると、小さなミソサザイが仲間に入れておくれとやってきます。大笑する鷹に猪を捕ってきたら仲間にしてやると言われ、ミソサザイはほんの小さな体で猪をつかまえに行きます。
むかしむかしある所に畑仕事に精を出すひとりの男がいました。「ああああ~~~ 猿でもいいから手伝ってくれたら三人娘のどれかを 嫁にやるのになぁ!」
結局「宗教」なるものはそこをどう説いているのか気になりました。お釈迦様は、「死後の世界のことだとか、宇宙は有限か無限かなどを考えて今をおろそかにするようなことがあってはならない」と言い、仏教では死後のことについては触れていないそうですが。
結局、死後の世界は死んでみないとわかりません。でも私はやはり、「死後の世界」はあると思うんですよね。どんな形にせよ、死んだあとの世界はあると。だからこそ「人として」まっとうに生きなきゃと思うし、ご先祖様を大切にしたいと思うんだ、と思うんですよね。
姑の部屋には小窓があって、カーテンを付けていましたがその小窓から童(わらべ)が遊びに来ると言っていました。姑の部屋には他にも色々と亡くなった人が訪ねて(?)来たようでしたが、姑にとってそれは特別なことではなく普通のことだったんでしょうね。
現世に自分達があるのはご先祖様のおかげですのでご先祖様を大切に思う心はとても喜んで下さるけれど。だからといって現世の物質的なことにこだわったり、墓だ相続だと生きている人の生活を変えたり乱したりすることを望んではいないと思います。
神様も仏様も関係なく、ひたすら我が身最優先で自分勝手にお気楽に生きていた私も、運よく”結婚適齢期”にめでたく結婚することになりました。ひょっとすると、この結婚に導いたのは ご先祖様か、はたまた神様だったのかも知れません。
普段は「神」や「仏」、「宗教」などをほとんど意識せず単なる生活習慣だと思っていることも、実は「神道」や「仏教」の行事が基本になっていることが多くあります。日本人はよりよく生きるために神道や仏教を上手に取り入れてきたのですね。
お寺の数がコンビニより多いって?文化庁 宗教統計調査によると「宗教法人」の数は 77,232、「寺院」の数が 75,744寺。ホント!全国のコンビニの店舗数(約47,000)よりずっと多い!びっくり仰天のお寺の数のナゾに迫ります!
「ご先祖様」について考えたり書いたりしていると、どうしても避けて通れない「宗教」とか「信仰」とはいったい何なのか?調べれば調べるほどあまりに広すぎて深すぎて、良く知ろうと思えば思うほどひと言では表せないコトバです。とりあえずは辞書の解説から、「日本の宗教」に近づいてみます。